歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

辯證法にかんする覚書: カント 1

2005-05-11 | 哲学 Philosophy
カントの超越論的辯證

 悟性による多くの認識に超経験的な対象の概念によっア・プリオリの統一を与えようとする能力を理性という。この統一のための概念(純粋理性概念)をカントはプラトンに倣って「イデー(理念)」(Idee)と呼ぶ。理念は、経験のうちに見いだされず、経験の範囲内に限局されざる対象の概念である。

理念の三種

(1) 心理学的理念(die psychologische Idee)
「霊魂」(Seele)または「心」(Gemüt):内的現象に関する多くの悟性認識に究極の理性統一を与える。
(2) 宇宙論的理念(die kosmologische Idee)「世界」(Welt):外的現象の総括、外的現象にかんする多くの悟性認識に究極の理性統一を与える。
(3) 神学的理念(die theologische Idee)「神」:現象界を越えて、現象一般に関する多くの悟性認識に究極の理性統一を与える。

前進的綜合(die progressive Synthesis) 制約するもの(推論の前提)→制約されたもの(推論の結論)
背進的綜合(die regressive Synthesis) 制約されたもの→制約するもの→ ・・・→無制約的なもの(理念)

純粋理性の概念は、現象に関する多くの悟性認識に究極の理性統一を与えるための概念であって、これらの概念の対象は、決して「与えられている」(gegeben)ものではなく、むしろ「課せられている」(aufgegeben)ものである。理念は、現象に関する悟性の認識をできる限り大きな範囲に継続拡張し、これにできるかぎりの体系的統一を与えるための「理性の統制的原理(das regulative Prinzip der Vernunft)」であるが、現象を越えて範疇を使用するための原理、すなわち「理性の構成的原理(das constitutive Prinzip der Vernunft)」ではない。

しかしながら、統制的原理である理念を構成的原理へとすり替えることによって、超越論的な仮象が生まれる。

このような仮象を生み出す辯證的理性推理は、理念の三種に応じて三種ある。

(1) 霊魂:超越論的誤謬推理(transzendentaler Paralogismus)
霊魂を実体化し、その被物質性・単純性・不滅性・人格性を論証することはできない。

(2) 宇宙:純粋理性の二律背反(Antinomie der reinen Vernunft)

(i)  定立 「世界は時間上始まりを有し、空間上も限界を持つ。」
   反定立 「世界は時間上始まりを持たず、空間上、限界を持たない。」

(ii) 定立 「世界における複合実体は、いずれも単純な部分からなる(一般に単純なもの、また単純なものから合成されうるもののみが存在する)」
  反定立「世界における複合せられたものは、決して単純な部分から成立せず、また一般に世界には決して単純なものは存在しない。」

(iii) 定立 「自然の法則に従う因果性は、世界の諸現象が、ことごとくそこから導出される唯一のものではない。現象の説明には、なお、自由による因果性(eine Kausalität durch Freiheit)が必要である。
  反定立「自由なるものはない。世界における一切は、もっぱら自然の法則に従って生起する。」

(iv) 定立 「世界には、その部分としてか、あるいは全体としてか、絶対に必然的な存在たる或る物が属する」
  反定立「世界のうちにも、また世界の外にも、絶対に必然的なる存在はどこにもない。」


(3)神:純粋理性の理想(das Ideal der reinen Vernunft)
     
理想とは個物としての理念(die Idee in individuo)である。理性による神の現存在の証明として次の三種をあげそれを批判する。

(1)「存在論的証明」(der ontologische Beweis)
あらゆる経験に先だって、ア・プリオリに単なる概念から神の現存在を推論する。

(2)宇宙論的証明(der cosmologische Beweis)
世界の偶然性から(a contingentia mundi)から神の現存在を推論する。

(4)自然神学的証明(der physiko-theologische Beweis)
人間の技術との類推に基づいて、世界の秩序・合目的性・美しさから、悟性並びに意志を持った自由なる叡智者が自然の根柢にあると推論する。


(補足説明)

 悟性認識の体系的統一即ち理性統一が求めらるべきであるというのが理性の要求である。この統一は、与えられているのでなく、課せられているのである。イデーは、かかる理性統一を探究するための形式(=形相)的原理にほかならぬ。しかるに、この形式(=形相)的原理が「先験的すりかえ」(transzendentale Subreption)によって「構成的原理」と考えられ、この統一が「実体化して」(hypostatisch)(=「基体的に」)表象せられることも、また避けがたい。かくて極めて自然にも、「統制的原理」であるものが「構成的原理」に転化せられて、そこに「先験的仮象」(「弁証的仮象」)が生ずるに至る所以がある。これは極めて自然な、避けがたいものであるが、厳にしりぞけられねばならぬものであるとカントは考えるのである。先験的仮象を生み出す弁証的理性推理は、イデーの三種に応じて三種ある。第一の弁証的理性推理は「先験的誤謬推理」(transzendentaler Paralogismus)とよばれ、第二の弁証的推理における理性の状態は「純粋理性の二律背反」(Antinomie der reinen Vernunft)とよばれ、第三の弁証的理性推理の対象は「純粋理性のイデアール(理想体)」(das Ideal der reinen Vernunft)とよばれる。
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