歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

コスモスと実存ー相依性の原理(3)

2007-04-16 | 哲学 Philosophy

ホワイトヘッドが現実と呼ぶものは、一つは形成の活動そのものをさすが、もう一つは、曖昧さのない、すべての側面において確定した「還元不可能な頑固な事実」の集積を意味している。現実の成り立ちには、決断があり、事実それに先立つ決断によって、所与となるのである。

 「決断」は、活動的存在の因果的付加物と解釈されることはできない。それはまさに現実性の意味そのものに等しいのである。活動的存在は、そのための決断から生ずるのであって、そしてまさにその存在によって、それに取って代わる他の活動的存在のための決断をもたらす。こうしてその存在論的原理は、「活動的存在」、「所与性」、「過程」の概念を含む理論を構成する最初の段階なのである。「過程のための可能態」が一属普遍的な術語である「存在」或いは「事物」 の意味であるのと同様に、「決断」は「現実的」という語によって「活動的存在」という句の中にこめられた付加的意味なのである。「現実態」 は、「可能態」の真只中の決断である。それは避け得ない頑固な事実を代表している。(PR43)

さて、生起A1 生起B2に因果的に内在するということの意味を、普遍者と特殊という伝統的な範疇と対比して考察しよう。ホワイトヘッド哲学でいう「因果的客体化(causal objectification)」によって、他に掛け替えのない一回限りの生起が完了して「もの(entity)」となるときに、それは、もはや特殊者ではなくて、普遍者として、他の多くの活動的存在の内に反復されるという性格を持つのである。 形成的に(formally)に見れば、A1は主体として、A1の因果的過去に属するすべての活動的存在を客体化している。主体としてのA1のうちに現実的世界(the actual world)が内在しているのである。A1が完全な現実態として満足するということは、A1が自らを客体として、他の諸生起に与えるということを意味しており、ここでは、A1は他の諸生起のレアルな構成要素として、その記述に入り込むという意味で、普遍者の役割を担うのである。言い換えれば、主体的な統一性を持つA1は、客体として、他の諸生起の中で反復されるのである。このことは、特殊と普遍との関係を我々が見直さなければならないということを意味している。いかなる活動的存在も、特殊であると共に普遍という性格を持つことを、ホワイトヘッドは繰り返し指摘する。

存在論的原理と、現在の形而上学的議論が基礎をおいている普遍的相依性についての一層広範な理論とは、普遍的であるものと特殊的であるものとの間の鋭い区別を不鮮明にする。普遍者の概念は、多くの特殊者の記述の中に入りうるものの概念であるが、一方、特殊者の概念は、普遍者によって記述されるが、それ自身は他のどの特殊者の記述にも入らないということである。この講義の形而上学的体系の土台である相依性の学説に従えば、これら両概念は誤解を含んでいる。活動的存在は、普通者によっては、不十全にせよ記述されえないのである。なぜなら他の活動的存在がまさにどれか或る一つの活動的存在の記述に入り込むからである。したがってすべてのいわゆる「普遍者」は、他のあらゆるものとは違った、まさにそれがそれであるところのものである、という意味で特殊である。またあらゆるいわゆる「特殊者」は、他の活動的存在の構成に入り込むという意珠では普遍である。(PR48

 従って、永遠的客体と活動的存在の相違は、普遍と特殊の間の相違なのではなく、決して主体とならず客体としてしか機能しないものと、最初に主体として形成され、しかるのちに客体として機能するものとの間の相違なのである。客体化された活動的存在は、さまざまな媒介を経て他の現実的諸存在の内にあるが、それらは、いずれも一つの活動的存在の多くの事例となるのである。ここで、ホワイトヘッドが「客体的同一性の範疇」と呼ぶものが重要な意味を持ってくる。この範疇によれば、一つの現実的生起A1は、さまざまな媒介を経て他の現実的生起(例えばB3)のうちに客体化されるが、それらは、最終的な満足の相においては、一つのA1として客体化されるということを述べている。

そもそも統合が存在するという事実は、客体的同一性の範疇によって表現される条件から生ずる。活動的存在であれ、永遠的客体であれ、同一の存在は、一つの現成の形成的構造においては、再度、感受されえない。一つの客体についての多くの感受を伴う未完の諸相は、その一つの客体についての一つの感受を伴う最後の満足によって、解釈されるにすぎないのである。したがって客体的同一性は、一つの客体についての多くの感受がその客体についての一感受へと統合されることを要求する。(PR227)

この客体的同一性の範疇は、客体的多様性の範疇 (the Category of Objective Diversity )、及び主体的統一性の範疇 (the Category of Subjective Unity )と並んで、現実的生起の内的過程を制御するもっとも基本的な制約となっている。それは、我々に対して諸事物が我々の現実世界の中で、一つの固有の機能をもって存在していること、それぞれの事物は、その都度その都度一つのものとして、抱握され、主体によって統一された現実世界の中で確定した位置を占めるということを表現している。

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