歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

無の場と創造性-歴程の自然学 5

2007-04-21 | 哲学 Philosophy

原子論と違って、活動的存在は、複合的であることによって要素的となること、即ち、世界を内に含む複合体であることによって、世界を構成する要素となるという古本的な性格を持っている。この二重の性格は、活動的存在の<現成concrescence>という概念によって説明される。(補注参照)

 

「活動的存在を最も具体的な要素に分析すると、それが諸々の抱握の現成(concrescence)であることが明らかになる。そしてこの抱握は、生成の過程において始まる」(PR23)。「あらゆる抱握は三つの要素からなっている。(a)抱握しつつある「主体」、すなわち、その抱握が具体的要素となっている活動的存在。(b)抱握される「与件」。(c)どのようにしてその主体がその与件を抱握するのかという「主体的形式」(PR23)。複数のさまざまな種類の抱握が活動的存在の具現において統合される過程を記述することが、『過程と実在』第三部の「抱握の理論」の主題である。

抱握の与件が他の活動的諸存在を含む場合は「物理的抱握(physical prehension)」、与件が永遠的客体を含む場合は、「観念的抱握(conceptual prehension)」と呼ばれる。さらに、与件がただ一つか複合的かによって「単純(simple)」または「複合(complex)」という形容詞がつく。物理的抱握と観念的抱握の双方を、「純粋な(pure)」抱握と言う。「不純な(impure)」抱握は、より後の現成の相において、二つの純粋なタイプの抱握を統合する抱握である。「混成的抱握」は、「他の主体に属している観念的抱握あるいは「不純な」抱握を、ある主体が抱握するそういった抱握である」(PR107)意識、情緒、好み、忌避、目的などは複合的な抱握の主体的形式である。 与件が永遠的客体であるとき、その抱握の主体形式は、特に「価値付け(valuation)」と呼ばれる。

  抱握は宇宙のあらゆる存在と関係を持つといったが、一つの活動的存在の内的構成に寄与する場合は「肯定的な抱握(positive prehension)」とよばれ、内的構成から排除される場合は「否定的な抱握(negative prehension)」と呼ばれる。「肯定的抱握」は、「感受(feeling)」と同義的に使われる。主体の統一性のゆえに、「原始的与件(initial data)」 の全体を肯定的に抱握(感受)することはできない。否定的抱握によって排除された残り、活動的存在の内的構成へと取り込まれた与件が、「客体的与件(objective data)」である。

否定的抱握の概念は、<活動的存在>が具体化する場合に、いかなる可能性を排除するかと云うことが決定的に重要な意味を持つことを示しているが、それだけでなく、それがいかなる主体形式のもとで世界を統合するかを決定する。統合の様式(modes of synthesis)は、ホワイトヘッドの哲学的範疇においては、<対比contrast>であり、相矛盾する経験の諸契機を内的に統合することによって経験に深みdepthと内的充実度を与えるものである。

 <o:p></o:p>

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする