歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

コスモスと実存 ー相依性の原理 (1)

2007-04-18 | 哲学 Philosophy

4.相依性の原理 (the principle of relativity)

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  アメリカのプロセス神学者で、仏教徒の宗教的対話に積極的に参加しているジョン・カブは、相依性の原理に従って現成する現実的生起を、仏教の中心的概念である縁起(pratitya-samutpada=依存的生起)と空性(sunyata)の概念になぞらえている。ホワイトヘッド自身も、『過程と実在』の中で、「有機体の哲学は、西アジアやヨーロッパの思想よりも、インドや中国の思想のもつ体質に一層近いように思える。一方は、過程を究極的たらしめるが、他方は、事実を究極的なものにしているのである」(PR7)と述べていることからもわかるように、このような親近性は意識していたように見える。仏教的な縁起説との比較は、それ自身興味ある主題であるが、ここでは、ホワイトヘッド自身の文脈に即して、「相依性の原理」とは何であるかを検討しなければならない。

この原理は、まず最初に、主語述語、実体属性という用語で語られるアリストテレスの形而上学の枠組みを批判するものとして提示されている。事柄の重要性に鑑み、ホワイトヘッドがこの原理を説明している箇所を引用してみよう。(PR50)

「普遍的相依性」universal relativity の原理は、「実体は主体のうちにない」というアリストテレスの格言を否認する。その原理に従えば、これとは反対に、活動的存在は他の活動的存在のうちにある。事実、われわれが関連の度合を、また無視しうる関連を、斟酌するならば、あらゆる活動的存在は、あらゆる他の活動的存在のうちにある、といわなければならない。有機体の哲学は、「他の存在のうちにある」という概念を明晰にするという課題に主にあてられているのである。この文句は、ここではアリストテレスから借用したが、それは幸運な文句ではないのであって、以下の議論では、「客体化」という用語にとって代わられるだろう。このアリストテレスの文句は、一つの活動的存在が他のものに単に付加される、という生硬な概念を示唆している。これは、有機体の哲学が意味していることではないのである。永遠的客体の一つの役割は、それらが、或る一つの活動的存在がどのように他の現実的諸存在との綜合によって構成されているか、またその活動的存在が、最初の与えられた相から、その個体的な享受や欲求を含むそれ自身の個体的な現実的な存在へとどのように発展するか、を表現している要素である、ということである。活動的存在とは、それが宇宙のそうした特殊な現成であるが故に、具体的なのである。

 アリストテレスの哲学においては、第一義的な実体とは、主語となって述語とならぬものであり、より詳細に定式化すれば、「いかなる主体のなかにもなく」かつ「いかなる主体についても語られない」ものであった。そこにおいては、実体の範疇が関係の範疇に対して優先している。相依性の原理は、そのような意味での「実体」は、我々の経験のもっとも根源的なレベルにおいては存在しないことを述べている。そして、この「他の存在の内にある」ということの意味の解明が『過程と実在』の中心的な主題の一つであるというのである。

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