歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

無の場と創造性ー歴程の自然学 6

2007-04-20 | 哲学 Philosophy

3.再定式化された主体主義の原理 (the reformed subjectivist principle)

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 主体主義の原理とは、「全宇宙は主体の経験の分析のうちに露にされる要素から成っている」ということを述べる。この原理を再定式化するという意味は、それを認識論の地平ではなく、存在論の文脈で定式化し直すと言うことである。言い換えるならば、主体の活動を唯物論者が考えているような物質の運動としてではなく、世界のすべての要素を抱握する働きとしてとらえるということ、世界の連帯性のうちにおいて、主体の働きを考えるということである。活動を欠いた空虚な現実態vacuous actualityという概念をホワイトヘッドが退ける理由もそこにある。 

  ホワイトヘッド自身が使った用語ではないが、汎主体主義pan-subjectivismという語がプロセス哲学の特徴をよく表すものとして用いられる。我々が出会うすべての具体的事物を、単に客体としてではなく、同時に主体として捉えると言うことをそれは意味している。即ち、主体は唯一無比のものとしてではなく、初めから、他者との連関性、連帯性のもとに把握されているのである。現実にあるものは、それ自身において考察されるときは、すべて主体であり、他者の観点から見れば客体である。そして、主体から客体への、客体から主体へのダイナミックな移行がまさしくホワイトヘッドがプロセス(過程)と呼んだものの内実を為している。

主体の複数性と言うことは、多元主義pluralismの基礎である。主体が実体として定立されているところでは、複数の実体の交流と言うことに論理的な難点が存するということはライプニッツが夙に指摘したところであった。論理的な首尾一貫性を尊んだスピノザは、唯一の実体とその様態だけを考えた。プロセス哲学においては、一つの主体の成立に、他の諸々の主体が本質的な関わりを持つ。窓なきモナドが予定調和によって他の諸々のモナドを映し出すのではなく、他のモナドを映し出す-あるいはプロセス哲学の用語に従って言えば、他のモナドを抱握(prehend)する-ことによって、新しいモナドが成立するのである。そして、この新たに成立したモナドは、その内に、現実的世界(actual world)のすべてを含んでおり、現実的世界を統一すると共に、新しい要因を付加するのである。このプロセスは不可逆であり、次に生成する活動的存在は、この新しい要因を前提して、自らの立脚点から新たに現実的世界を統合しなければならない。現実的世界という語は、ここでは、一つの活動的存在(actual entity)と相関的に言われており、それぞれの活動的存在が自らの遠近法によって、統合した世界を指している。この統合の働きによって、離散的な多者が具体化され、新たな統一性が獲得される。

唯物論的な世界観においては、このような統合の働きは存しない。物質は、他の物質を抱握する事はなく、単にあるときにある場所に位置を占めるのみである。この世界では、知覚し行為する主体というものは、意味を失い、一定の法則に従って運動する物質の集合体があるのみである。そのような物質の概念は、空虚な現実態(vacuous actuality)に他ならず、抽象を現実と置き換える虚偽(the fallacy of misplaced concreteness)の典型なのである。主体主義の立場に立脚する観念論の側についてみても、主体は依然として、主語―述語の範疇の中で考察されており、異なる主体相互の交流ということが考えられなくなっている。ホワイトヘッドは唯物論から有機体論への流れを次のように要約している。(PR309)

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