福音歳時記 1月19日 聖トマス小崎巡礼の日
心臓を貫く十字イエズスにならふ少年母を気遣ふ
1597年2月5日に長崎の西坂の丘で殉教した26人の記録をルイス・フロイスは同年3月17日に纏めた。そして、病身であったフロイス自身も、彼等の後を追うようにして7月8日に帰天した。イエズス会に入会して50年、東洋で49年、日本で34年を過ごした彼の最期の仕事が「二六人殉教記」であった。この記録には、日本では散逸してしまった殉教者の多くの書簡が残されている。
トマス小崎について、フロイスは次のように記している。
「トマス小崎、修道者の同宿。16歳。伊勢出身で、フライ・マルチノと一緒に大坂にいた。彼の父ミゲル小崎も同じく十字架につけられた。この少年は、道中母に宛て手紙を書き、それを父に渡した。十字架につけられた後、一ポルトガル人が彼の懐から袋の中の手紙を一枚の御絵と共に見つけた。御絵には心臓の上に十字架を担う幼きイエズスが描かれていた。槍で刺された時の血にまみれたその手紙には次のように書かれていた。」
母に宛てたトマスの手紙
「神の御助けによってこの数行をしたためます。長崎で処刑されるためそこに向かう私たちは、先頭に掲げた宣告文の通り24人です。私と父上ミゲルのことについては御安心下さいますように。天国で近いうちにお会い出来ると思います。神父達がいなくとも、もし臨終の時、犯した罪の深い痛悔があれば、また、もし主イエス・キリストから受けた数多くの御恵みを考えそれを認めれば救われます。現世は、はかないものですから、パライソの永遠の幸せを失わぬように努めて下さいますように。人々からのどのようなことに対しても忍耐し、大きな愛德を持つようにしてください。私の弟たち、マンショとフェリペを未信者の手に渡さぬようにご尽力下さい。私は我が主に母上たちのためにお祈り致します。私の知人の皆様によろしくお伝え下さい。重ねて申し上げます。貴女が犯した罪について深い痛悔を持つようにしてください。これだけが大切なことです。アダムは神に背いて罪を犯しましたが、痛悔と償いによって救われました。
安芸国三原の城から
12番目の月の2日(1597年1月19日)」