先日、久留米市山本町柳坂曽根の櫨並木を通ったので、
撮影してきました。
青々とよく茂って迫力がありますね。
ここの櫨並木は昭和40年代、
伐採されそうになった事件がありましたが
保存運動に尽力した故・香月徳男さんなど、
周囲の方々の協力で、なんとか生き延びてきました。
もっと過去を遡ってみますと
興味深い事がわかりました。
江戸時代、松山櫨の発見者である大庄屋竹下武兵衛の書いた
「農人錦の袋」は、有用な櫨の技術書として
関心のある人々の間で写本されていたようですが、
肝心の竹下家には既に存在していません。
唯一現存したのは、
旧山本郡柳坂組の大庄屋を勤めた上野包淑が、
天保九年に久留米藩士吉田家所蔵本を筆写し、
それが明治四十五年に「有馬文庫」として転写されたものです。
(その後上野家の写本は紛失)
つまり上野包淑が筆写して、
その後、明治まで上野家が大事に持っていなければ
「農人錦の袋」は幻の書のまま終わっていたわけで、
山本町という所は、櫨並木の保存ばかりでなく、
竹下武兵衛の貴重な著作をも保存してくれた
櫨の守り神がいるような土地なのです。
7月も半ばを過ぎて、実もだんだん大きくなってきました。
去年はあまりぱっとしなかった紅葉ですが
今年はぜひ真っ赤な紅葉が
見られるといいなと願っています。
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青々とよく茂って迫力がありますね。
ここの櫨並木は昭和40年代、
伐採されそうになった事件がありましたが
保存運動に尽力した故・香月徳男さんなど、
周囲の方々の協力で、なんとか生き延びてきました。
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江戸時代、松山櫨の発見者である大庄屋竹下武兵衛の書いた
「農人錦の袋」は、有用な櫨の技術書として
関心のある人々の間で写本されていたようですが、
肝心の竹下家には既に存在していません。
唯一現存したのは、
旧山本郡柳坂組の大庄屋を勤めた上野包淑が、
天保九年に久留米藩士吉田家所蔵本を筆写し、
それが明治四十五年に「有馬文庫」として転写されたものです。
(その後上野家の写本は紛失)
つまり上野包淑が筆写して、
その後、明治まで上野家が大事に持っていなければ
「農人錦の袋」は幻の書のまま終わっていたわけで、
山本町という所は、櫨並木の保存ばかりでなく、
竹下武兵衛の貴重な著作をも保存してくれた
櫨の守り神がいるような土地なのです。
7月も半ばを過ぎて、実もだんだん大きくなってきました。
去年はあまりぱっとしなかった紅葉ですが
今年はぜひ真っ赤な紅葉が
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