25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

八百善 江戸料理

2016年06月10日 | 日記

    寝つきの悪さ。浅い眠り。自律神経がイカレているのではないかと思ってしまう。読書に励むとついつい夜更かしをしてしまい、次第に寝起きが収拾つかなくなって、ついには眠る時間になっても、さっさと眠れなくなる。また睡眠時を12時に戻すのは大変である。昨夜は午前4時くらいについに眠って、9時半には起きた。眠れないものだから、夜中に酒をコップ一杯飲んだ。休むべき時間にまた肝臓に働いてもらうのだから、肝臓に負担だろう、と思ったが、そんな馬鹿なことをしてしまった。案の定、起きると、体調が違っている。おそらくこれは肝臓への負担の違和感である。

  「菊亭八百善の人々」(宮尾登美子)を読んだ。江戸料理の料亭の話である。享保 の頃から続いた老舗料亭は、時の政策によって、閉店させられたりした。大正時代には関東大震災で倒壊し、再建したと思ったら、軍部による閉鎖命令、あっという間に、東京大空襲で焼かれてしまった。小説は戦後の再建から、うまくいかぬまま閉店するまでの話だった。

  戦後は関西の料理に東京は席巻された。特に素材をいかす、京料理などによって江戸料理は見向きもされなくなった。宮尾登美子の言によると、八百善はその後銀座に店をだしたという。それで、それは興味深いと思い、ネットで検索すると、八百善は閉店していた。江戸の料理など「いなか料理」だと、きついことを言う人もいるが、江戸前寿司や天婦羅や鰻やアナゴ、すき焼きなどを生み出している。

   八百善は懐石料理店である。江戸期、文人墨客で賑わった。しかし関東ローム層の土ではおいしい野菜もできなかった。魚も、肉も、京都や神戸に負けた。運送が便利になると、関西の素材が手に入るようになった。江戸料理に固執すると、客は離れていく。今は江戸料理の店は一軒もないということである。

  この小説はテレビドラマにもなったらしい。DVDにもなっているので、今度借りようと思う。膳にのった料理を見てみたい。

 

 

   

 


うすら寒い

2016年06月10日 | 社会・経済・政治

   寒かったり、暑かったりで、皮膚の感覚の調節が難しいようで、不快感がある。特に、寝床で本を読んでいると、不自然な姿勢がやがて体を熱くするのか。汗がではじめる。薄い掛け布団を一枚にすると 朝方は寒くて、縮こまってしまう。

   お昼のテレビは桝添たたきで、芸人もボロカスに叩く。みっともないからやめときなよ、と言いたいが、どうせ叩くのだったら、そしてここまできたのだったら、政治資金規正法を突っ込めよ、言いたくなる。酷いもんだな。みんな、会議費やら、接待交際費やら、事務諸雑費なんか、きちんと正しくしてるんだ。領収書はとらないんだ。

 みんな「はけ口」を探しているのだろうか。リベンジされない、弱りきった人をみんなでよってたかって、1対1では言えたはずもないことを、正義面して言う。

  こういうのは「何かの兆候」かもしれない。でなければよいが。

  三菱UFJ銀行が国債を買う資格を返上した。ついに、仮想通貨を始めるらしい。借金10050兆円はどうなっていくのか。国民は何かの気配を感じるとっている。買うものもないし、将来に備えなければならないのに、「消費」「消費」と騒いで、大判振る舞いをする。無駄はけずらない。消費を増やすため、が錦の御旗になっている。

  このごろの天気のように、うすら寒いのだ。