25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

テレビ

2016年06月27日 | 文学 思想

 イギリスのEU離脱問題ですっかり舛添元都知事や議会、それに政治資金法の話はどこかにすっ飛んでしまった。マスコミとはそういうものか、けったいな化け物で、その中に映っていたら、自分は正義だという風に平気で物も言える媒体でもある。アホな奴はテレビ局に入ってテレビに映ればそれがステータスだと勘違いしているものもいる。滝川クリスタルなどというのはただ台本を読んでいるだけなのに、いっぱしのジャーナリストのような顔をし、行動をする。まあ、テレビは大本読みも必要なわけで、綺麗ささを売り物にして見させる手法もあるわけだけど、僕はあまり寛大になれない。

 ジャーナリストは広告主の顔色を窺わず、我が意見を言ってほしいものだ。

 昨日、「三億円事件」をモデルにしたような「モンタージュ」というドラマを見たが、これがまあ、ひどい。5分に一回のCMである。民放もこんなことをやっていたら、全部DVDに録画されてCM飛ばしで見られる日が近いのではないかと思ってくる。現に、全番組録画するBR・DVDレコーダーが出ている。

 僕らもこれから長い民放のサスペンスやドラマは録画にしようかと話しあったのであった。と、話が違ってしまったが、テレビへの対処の仕方が、変わってくるように思う。もしかしたら、若い世代はもうすでに変えているのかもしれない。

 ニュース番組もどこも似たりよったりである。サンデイモーニング、報道特集を除いては「報道ステーション」「ニュース23」「ニュースゼロ」も変わりはない。NHKの9時のニュースも横並びである。夕方のニュース番組もほぼ同様である。

 ひとつの事件に群がる。多様な視点というものがない。どうせだったら、あと二局ほどNHKのように有料で見させるものがあってもいいじゃないかとまで思ってくる。あるいは広告主はテレビ局の作る番組に申し入れできないようにするとか、である。電通絡みの事件はうやむやになっている。ひどいもんだ。