25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

書くということ

2016年06月28日 | 日記

 「相撲取りになるど」の第2部の推敲を終えた。加筆、削除、など訂正が続いた。第1部は「すばる新人賞」に応募した。これに落選したら、1部、2部、3部をまとめて、雑誌「相撲(ベ-スボールマガジン社)にでも行き、読んでみてもらいたいものだ、と思っている。他の出版社にも送ろうか、などといろいろ考える。

 だいたい、書くということ自己慰安である。本当に読んでほしいものはひっそりと誰にもみせず置いておく。そういうものがある。

 書いたものは近い関係のものには見せづらいものだ。特に妻となってくると、とても恥ずかしくて読ませられない。村上春樹などは奥さんにも読んでもらい感想をきく、と書いていたが、ぼくなんかはとてもできない。死んでから、興味あれば読んでもらえればよい。

 週日の5日間、毎日4時間ほどを書くことに使う。ほぼ一年近くになろうとしている。十の作品を仕上げた。だんだんと小説の書き方にもなれてきたが、それがいいものなのか、駄作であるのかはわからない。

 1995年に起こった池袋母子餓死事件が印象にあり、それが2016年ならばどうだろうかと、その事件をモデルに今の時代から書いてみた。すると、社会の様相が違っている。制度が違っている。確かに制度は整えられている。しかし今度はその制度を悪用する人も増えている。生活保護費などは典型例だ。母子で月に28万円もらう人もいる。家賃は優先的に公営の住まいに入れ、その上無料でもある。

 そんなことを調べながら書いた。これはもう一度読み直しをして、「文学界新人賞」か「太宰治賞」かに応募しようと思っている。賞をとれるかどうかというのは実はどうでもよくなってきている。この歳で、思い切り書いてみるだけだ、そして編集者に読んでもらいたい、と思うだけである。

 小説の読み方も違ってきた。これは思わぬ副産物である。僕にとっては有り難いことだ。

 台湾の友人からメールがあり、写真が添付されていた。彼は台湾でラグビーの選手で世界大会にも出ていた。台湾で早稲田大学のラグビー部かOBの楽しみか知らないが、彼は国交のない日本と台湾をつなぐ日台協会の世話役をしている。すると写真に「元総理大臣森喜朗」と二人で並んで写真におさまっている。「あれ、まあ」という感じで、ラグビー好きの二人なら気持ちも合うのだろうな、と思い、台湾で食べた腸詰の酒の肴の美味しかったことを思い出した。