25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

舛添を叩いたタレント、司会者、評論家

2016年06月16日 | 日記

  今回の舛添東京都知事の問題で、マスコミの卑怯さがとても目についた。そしてテレビに出てきて、マスコミの音頭に調子づき、一緒になってクソミソに言う評論家やタレントに、いずれブーメランのようにあなたにもやってくるよ、と僕は言っておきたい。

 マスコミは、政治資金規正法についてもっと切り込んでいくべきだった。それについて他の政治家にも聴いていくべきだった。その法律の欠陥を正していこうとするならばマスコミの価値はまだしもあったと思う。舛添のせこさに薄ら笑った。マスコミが誘導しているにも関わらず、都民の声は「辞任だ」など、まあ、愚かな評論家も司会者もタレントも、そんなことに気がつかないのか。

 舛添のせこさが都政、特にオリンピック政策にどのようにプラスに働いたかもしっかり報道するべきであった。バカ高い国立競技場の見積もりに、政府は検討もせず、東京都に負担増を求めてきたのだった。それにNOと言って拒んだのが舛添だった。それ以降、この問題は迷走し、今も迷走している。工事業者は一円でも高くしたいのだ。2億円の電通問題には口をふさぐマスコミ。電通を敵に回したくないのだ。

 ようするにマスコミ人だったら賢いなどと思うのは間違いで、広告主に気を使い、政府に気を使い、記者魂とか、権力を監視するなどということは決してないのである。有名ますこみ人でシリアやイラクに一般市民の様子を知らせようなどとする記者はいない。面と向かって、安倍首相に言える人などはいないのだ。

 甘利、小渕はぼろくそにも言われず、ぼろくそにも言われず、復活し、議員を続けている。

 朝、昼、夕方、ぼろくそにあざけり笑ったタレント、司会者、評論家、名前は知らないが顔はしっかりおぼえている。僕はこういう人こそ、もっと大きな「悪」だと思う。