25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

舛添都知事を少し弁護する

2016年06月15日 | 社会・経済・政治

 日本人はどうなってしまったのかと思ってしまう。舛添都知事がまず、何がなんだかわからないのではないか。週刊文春で報じられた記事が出発となり、テレビで大々的となった。それから、怒りの声が広がり、ボルテージも上がり、テレビはこれでも、これでもか、というくらい報じ続けた。
 偽りの領収証くらいは誰だってやっている。資産価値のあるものを資料代とするのにも、普通やっていることだ。石原都知事に比べたら、おれはそれ以上に仕事をしている。都庁にも毎日でる。都のこれまでの習慣で、ファーストクラスの飛行機にも、ホテルのスイートルームにも泊まった。以前から石原元知事も猪瀬元知事もやっていたことである。それだったら、政治資金規正法をもっとしっかり緻密にする責任があると言ってくれよ。自分は法律の範囲内でやれることをやっている。税理士だってそう指導する。せこいというがせこいほうがいいのだ。甘利元経済産業大臣のほうがおれよりひどいじゃないか。小渕優子だって、事務所のパソコンを壊してまで隠そうとしたんだぜ。
 なんで、自分の胸にも訊かないで、なんでおればっかり責めるの。どういえば気が済むの。
 みんなして叩く。どうしちゃったの。神経性潔癖症? 不平のはけ口。ヘイトスピーチのデモクラシー版?
 普通の人にテレビ局はインタビューする。みな不満ばかり。説明がなってない。知事の資質がない。モラルがない。
 普通の人にとってのモラルとは、と訊きたくなるね。

 こんな時にテレビに出る人の態度。
  1)この話題にのって舛添を一所懸命になって避難する人(ほとんど)
  2)黙って聞いていて、わからないところだけを聞こうとする人(渡辺えり)
 
 絶対に1)の人って、みんなで渡れば怖くないという人で、自分の意見がない人だと思う。絶対に一対一で勝負できないタイプだ。2)の人は深慮があり、平気で人にのっていかない。


 自分で蒔いた種だといっても、これだけやられていたら助っ人したくなってくるで。あんまりじゃないか、と僕は思う。もう、ええんじゃないか、と僕は思う。
  舛添都知事はオリンピックの巨大利権に切り込んできた。既得権益者の高い見積もり、政府からの支出金養成、しがらみのない舛添都知事は十分その「ケチさぶり」を発揮できた。「せこさ」は都政にも十分反映していた。

 ここまで書いてアップしようと思ったが、goo はメンテナンス中で、昨日アップできなかった。
 すると今日、舛添都知事が辞任するという。ついに屈したか。なぜ、自分の進行中の手柄を言わないのか。残念なことだったろう。