宇多田ヒカルのニューアルバムのうち3曲をNHKのソングズで聴き、これはちょっと違うわい、JーPOPなどは越えてしまったわい、と思い、CDを買ってしまった。クラシックジャズ以外で、サザンの「葡萄」を買って以来だから1年以上前ぶりである。全部で11曲。
パソコン取り込み、CDや各SDに書き込みむと、日本語タイトルと英語タイトルがあまりにも違うことに驚いた。11曲の中で気を抜いた曲はなく、ポップスの深化、あるいはポップスの未来をすごく感じることができて、今の歳まで無事生きてきて、そういう音楽が聴けてよかったとも感じた。モーツアルトがいたら、彼はどんな反応をするのだろうか、などと空想したりもする。
宇多田ヒカルの切ない声は長調の歌でも切ないし、ユーモアであっても切ない。自己表出の激しい歌である。自分のために歌っているようである。作詞の能力も優れている。言葉とメロディーの切り方も、独特である。
こういう人が世界に再び登場したのかと思うと応援したい。村上春樹の小説が世界の人々に読まれるように、彼女の歌をじっくり部屋で聴く人が毎日増えていると思うとうれしい。
昨晩は渥美清、俳号 風天が残した200首ばかりのうちテレビで紹介された50ばかりをノートに写しとった。そして、自己表出と指示表出についていくらか考えた。風天の句の一句に風天でしか表現できない箇所がある。
蟹悪さしたように生き(風天)