25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

木瓜の花

2016年10月13日 | 日記

 今日は待ちに待った「木瓜」を友達からもらった。庭から庭への移植だったので、その友達が根付くまでのやり方丁寧に教えてくれ、剪定の仕方も教えてもらった。十月が植えかえにいい時期だというので、本当に心待ちにしていた。薔薇よりも花びらが重なって豪華だというので、「雅」という名前を自分勝手につけた。これから四季それぞれに咲く木瓜を探そうと思っている。

 有吉佐和子の「木瓜の花」にすっかり興味をもってしまった。蔦代が精魂こめてこの花を盆栽で育てていた。僕は盆栽ではなく地植えであるほうがよいので、それを大事に見守っていこうと思っている。

 庭の木蓮、山茶花、金木犀が高くなり過ぎ、道路にはみ出してきたので、これの剪定の仕方も教えてもらった。

 角谷弁護士から二冊の小説が届いた。電話をすると面白かったという。「殻付き牡蠣は好きか」と尋ねたところ「大好きだ」というので、「それじゃあ11月になったら送るから」と言って、「仕事は忙しいのか」「まあ、こまごました仕事があってなあ」などとやりとりをした。

 僕は「やりとり」が結構不得手であるが、こういう「やりとり」は大事なことだと近頃思う。ようやく秋がやってきたという大気があって、秋の雲が薄っすらと空をデザインしている。木瓜を植えたついでにあちこちに伸びる蔦を刈り取った。相当な量だった。それをしてから錆びた鉄柱で無様になったガレージの鉄の骨格を白いペンキで錆を隠した。いつまでもこの柱などは持たないと思うが一応の手当である。この大量の蔦は燃やしてしまうことにしようと乾かしてある。

 16日は東京まで車でいかなければならないので、出不精になった自分を「いくぞ」と思うように気合をいれつつある。昔はひょいひょいと出かけたものだが、変わったものだと少しあきれている。