25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

尾鷲市をどうするか

2016年10月23日 | 社会・経済・政治

 尾鷲も大型店が幅をきかせいるし、ネットで買い物をすることも日常化していることだろう。尾鷲市が消滅都市に挙がったのは、これから多数を占めてくる高齢者に看護や介護担い手である20代から40代の人の数が大いに不足するからである。

  実際、住民票ではなく、本当の年代別人口を見たことはないが、市は把握しているのだろうか。この市の人口で、もはや文化会館はなりたたなくなっているような気する。病院さえなりたたなくなるのではないか、と心配する。

  そんな大掛かりのものではなく、例えばイーオンの2階が閉鎖でもされたら、尾鷲から、靴店もなくなり、

下着やシャツなどもどこで買えばよいのかわからなくなるし、ちょっとした鞄や旅行グッズなども今はイーオンにしかない。

  シェアビジネスが成長している。車のシェア、空き部屋のシェア。事務所のシェア。これもデフレの現象の中で起きる新しいビジネスである。

  いつも思うことだが、尾鷲をどのような町として続けていけるかと考えると、急に成長できることを考えるのはむずかしい。十年、二十年計画で、一つ一つ積んでいくしかない。たとえば、元尾鷲工業高校を看護や介護、理学療法などに学校にすること。学生は全国からと条約を結んでいる国々の学生を募集する。

 かたや、海の方では技術駆使ぢた漁礁や釣り場造成をし、ポイントなど案内も詳細にできるようにすること。

尾鷲海岸線は長く、磯もあり、砂浜、堤防、岸壁、沖と様々ある。そんな整備を行う。

 漁師から直接魚を買い、店に届ける漁師や仲介業者もでtくることだろう。そのためにはシンクタンク的な会社が必要であり、本来は漁協などができればいいのだろうが、そんな気配もないから、若い誰かがやればよい。

 行政は尾鷲が持続していくために、無駄なお金はつかわず、将来的に有効であろうことにお金を使う。衰退産業にお金を助け船のように出してはならない。衰退が避けられないと判断すれば、それを無理に助けていると、市の方もやられてしまう。

 なんやかや思いながら、コーヒーを飲んでいる。今書いている小説に行き詰まっている。