25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

買うものがさほどない

2016年10月19日 | 社会・経済・政治

  金融政策で低金利を続け、マイナス金利にしてまでも先進国の経済は停滞を異常なほど続いている。普通なら好景気と不景気を繰り返しながら全体としては上がっていたのだが、この思い込みはもう通用しなくなっている。これだけの低金利で経済が回復せず、成長をしないというのは資本主義が未知の領域に入っているということなのだろう。

 身の周りを見てみてもわかることだ。隠れデフレが進んでいると思えるのは空き室が多く、供給過多である、と僕は実感した。家は建てないほうが良い、という実感も持っている。靴は3足あれば十分で、コートは薄手の物と、厚手のものが一着ずつあれば冬は十分である。セーターやパンツやシャツなどもほどほどでよい。

 家の中を見ると、懐中電灯が四つもあった。掃除機がいつの間にか三つあり、もう使っていない子供たちの部屋には相変わらずエアコンがある。買った本やCDはよほどいいものでなければBOOK OFF に売ってしまう。なんと無駄なものが多いかよくわかる。消費、消費と煽られても、僕にはデパートの一階で買う物がない。そもそもデパートで買う物がないのである。こんなものいるのかなあ、と思うものがいっぱいある。

  資本主義は消費を煽ることで、生き延びてきた。先進国では、もういくら消費を煽っても人々はのらないのではないか。断捨離もブームとなり、物を所有するという欲望追求が幸福なことだとも思えない実相をすでに見てしまっているのではないか。

  必無なものとそうでないものを近頃の若い世代は峻別しつつあるように思えるが、どのくらいの生活水準で納得いくか、僕も考えるようになっている。外食を控えたり、酒の量を健康で判断して決めたり、車は中古で上等だと思ったり、庭は自分で手入れをしようと考えたりする。車に乗るよりもできるだけ歩こうともするようになった。

 成長することは良いことだ、という発想から、持続可能な社会のあり方に目を移してもよさそうである。先進国の中でも日本人だけが残業し、長い休暇がとれない現状もある。堤防をつくるより、人間の育成の方にお金を使いたい。これ以上借金するよりも、耐えた方がよい。僕はそう思っている。お金持ちで幸せな人というのもめったにみたことがない。小金持の人さえめったに見ない。

  消費資本主義の歴史的な大転換点の前に僕らは立っているのかもしれない。たった63人の富が世界30億人分に匹敵するというのだから、世界は狂ってきて当然のような気がする。