25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

漱石のこと

2016年10月10日 | 文学 思想

 NHKでドラマ「漱石の妻」をやっているので、興味深く見ている。夏目鏡子が語った「漱石の思い出」を下地としている。尾野真千子がよく鏡子のイメージと合っていて、好演している。

 思えば夏目漱石の小説というのはとても淡々とした日常の夫婦、友人、親戚のものたちを描いている。退屈極まりないと言えば、今の小説と比較すればそうなのかもしれないが、ところが読ませていくのである。それはなぜかと言えば、人間の関係をとても上手に深く描いているからである。人間の生活の中で、実を言えば、人間関係ほど緊張を強い、喜びを感じさせ、絶望を感じさせるものは「冒険物語」よりもすごいものがあるのである。漱石は三角関係をこのパターン、あのパターンでとさまざまに描いた。平凡に生きるものでも関係の絶対性はつきまとう。人間は人間であるかぎりこの問題から離れることはできない。親がいて、兄弟がいて、妻がいて、他の友人や知り合いがいる。漱石の文学はその「ほじくり」を原点としている。

 朝日新聞に入社して以降、漱石の小説はこの原点を見据えるようになった。わずか49歳で死んでしまったとき、「明暗」が絶筆で完成していなかった。どうなるのか。テレビドラマでどうなるのかという風な「どうなるのか」ではない。この小説の完成を水村早苗が漱石の文体をそっくりまねて「続明暗」を発表した。そこには水村早苗の完結の解釈がなされている。読めば平凡で俗な夫婦がでてきて、夫には妹がおり、勤る会社には好奇心旺盛な社長の妻がいる。妻側には養父のような伯父さんがいて、可愛がってくれる。平凡だと言っても夫婦ともにプライドがある。インテリのプライドである。一人友達が出てくる。貧乏であるが、なにか主人公に嫌味を言いながら、すねたように生きている。主人公は今の妻と結婚する前に、好いていた女性がおり、婚約までしていたところを破談にされたという過去がある。彼は心の奥底でなぜ、彼女が急に婚約を破棄したのか、その理由がわからない。このくらいの登場人物である。そして漱石の小説では一番長い。どこにでもありそうな話なのだが、漱石の書く文は読ませていくのである。

 三、四年前、漱石の小説、手紙、江藤淳や吉本隆明などの漱石評論などを読みまくった。小説はほぼ二回読んでいる。それでいてもう一回読もうかなどと思えてくる。