25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

何か変

2019年07月22日 | テレビ
 何か変。記者会見で芸人二人が泣きながら喋っている。大の大人がなあ、と思った。すると、翌日吉本興業の社長が記者会見して、涙して語っていた。これにも違和感を感じた。
 要するに涙なんか簡単に流すなよ、とぼくは思ってしまうのだ。
 これはぼくの性格からくるのかも知れないが、吉田沙保里がリオのオリンピックで金メダルを逃したときの泣き姿にもうんざりしたのだった。見苦しかったのである。
 宮迫や亮は直営業と知っていて商売し、客が彼らが知らなかったにもかかわらず、反社会的勢力だったということに加えて、お金をもらってなかったと嘘をついたことである。つまり、ドツボに
自ら飛び込んだのである。
 で、なんで泣くのかねえ、と思い、社長まで泣くというのが吉本興業らしいのかな。
 ぼくが変なのか、泣くことに納得できないのである。

経済はややこしい

2019年07月22日 | 社会・経済・政治
 さほど気にもならず、この国の国政選挙の様子を見ていた。各政党人、候補者は必死であろうが、こちらは必死ではない。早々とチャンネルをBSに切り替えて、卓球TSダイヤモンドを観戦する。加藤美優は準決勝で話にならず、朱雨齢のストレート負けした。丁寧との三位決定戦を見る気がせず、早々に二階の我が部屋に引き込んだ。「パニック経済」を読んでいる。
 そう言えば、金利が下がると国民のお金が下がった分だけ国に行ってしまうのだった。もうひとつ金利が下がれば、企業や個人はお金を借りる際に有利になる。だから消費は活発化する、はずである。しかしなかなか借りる人、企業は少ない。

 政府はすでに大規模の金融緩和をやり、貨幣供給も500兆円と膨大になっている。政府の国債は銀行が買い、その銀行の国債を日銀が買っている。日銀はそれだけ引きうけているのだから市中にお金が回り、消費もしてもらいたい。しかしながら市中にお金が回らない。なぜか。銀行は膨大なお金が市中に回れば、スーパーインフレになってしまうことを恐れているからか。あるいは単なる貸し出し先がないだけの話か。日銀が買い取ったお金が塩漬けされている。
 とまあ、こんな風な本を読んでいるのである。今年になって経済本を数冊読んだ。経済のことは難しい。自信をもっていう人はクエスチョンマークである。「国民は国にお金を貸してるんだ」と自信をもって言うのは結構であるが、裏を返せば、「国民は貯金を担保に取られてるんだ」とも言えるし、「金利操作ひとつでお金は国に没収されるのだ」とも言える。

 MMT(現代貨幣理論)にしても自国で貨幣を作り、自国民で国債が賄える限り、財政バランスよりも国債を発行しても国は破綻しない、と言っても、大量の国債を何に使うかでその結末は違うだろう。不要な公共工事にお金を出し、回収できないようなものなら、維持管理費がかかるばかりである。教育に使われるならば、これありである。人材あってこその日本だからだ。このMMTは民主党の左派サンダース候補の経済政策ブレーンの理論であった。可笑しいのは、このいわば社会主義的理論を自民党の西田昌司議員が一生懸命唱えていることだ。消費税増税をやめ、国債を発行しろ、というわけである。これは「れいわ新選組」がさらに踏み込んで「消費税ゼロにする」と言っているのと同じである。不可解なのはサンダース上院議員は貧困と格差で喘ぐ若者の社会主義化傾向に賛意をしめし、選挙活動の地盤はそういう人たち支持で行われたのだった。森友問題でも安倍首相を擁護していた西田昌司は? 藤井聡のような安倍政権元ブレーンは? MMTは何にお金を使うのか、その内容が一番重要なのである、とぼくは思う。