25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

東京のせがれ

2019年07月31日 | 日記
 今日から大潮で、息子は素潜りでチャンポコ採り、孫娘たちは磯遊び。藻場になっているせいか、赤ちゃん魚が引いてできた磯の小さな池ではぐれている。ハコフグの赤ちゃんもいた。
 ぼくは竿を出してガシ釣り。笹ベラが釣れた。ガシを待つよりも、やっぱり、亀の手を採ろうと、古い出刃包丁をもってきたので、釣りから貝採りに変えた。
 磯の岩場の裂け目では亀の手の群れにカラス貝が混じり、やがてカラス貝に占領されるのか、逆なのかはわからない。
 夕方は孫娘も巻き貝を爪楊枝で刺して旨い旨いと食べていた。息子は偶然にヒオオギ貝が移動しているところに水中で出くわし、それを取ったらしい。さすが紀州の海。ヒオオギの身が小さい。孫娘が食べた。
 せがれ(息子)は東京で暮らしていて、妻子ともに、夏と冬必ず来る。夏は川遊び、海水浴、磯遊び、冬は熊野古道を歩いたりしている。
 今年の尾鷲滞在は長い。その分ぼくらはくたびれる。ぼくらの仕事を手伝ってくれるわけでもない。ただ飯食いに来るだけだ、と言えば細君は怒るが、まあ、親に自分たちの顔と孫の顔を見せにくるということだろう。
 孫娘のわがままに頭がカチンときてどやしつけてやった。人に怒らせるようなことをしたら怒られるものなのだ、と躾する。ジジババは無責任に甘やかしていればいいというものでもない。