25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

掘り下げる

2019年12月07日 | 文学 思想
 どれほどの人が「生き甲斐」を持って生きていることだろう。人間の多くは嘘つきだから、上手言いだから、「生き甲斐をもって生きていそうな人」をテレビで紹介されても、鼻白むだけだ。
 モーツアルトは生き甲斐を持っていたか、ゴッホは絵を描くことに生き甲斐を感じていたか。宮沢賢治はどうだったか。
 仕事で生き甲斐をもつ。いや「もてる」人をバカにしているのではない。本当のところむしろそういう人を尊敬している。
 多くの人は学生時代が終わると、どこかに落ちていくしかない。リクルートスーツを着て就職に頑張ろうと、今、明日の暮らしの安心感を得たいと思い、都合よくその仕事が自分なりにやれそうだ、思うくらいのものだろう。
 生きるということは「わけもわからず前に進んでいくこと」である。その途中で、人と出逢い、道が岐れ、また進むようなものである。その途中には苦い思いも、ちょっとした楽しさや、ガンとくる悲哀も伴いながら時間を重ねていくのである。人生は単調ではある。今日も、明日も、大まかには同じようなことを繰り返し、喜怒哀楽が一本の道に散らばっているようなものだ。

 今日、本屋で、「世界のニュースを日本人は何も知らない」(谷本真由美 ワニブックス新書)を見つけたので買った。こういうのは「縁を買う」というのだろう。新聞やテレビではわからない世界の真実に迫る、と表紙に書いてある。その本の著者の略歴を見、「はじめに」を読む。1975年生まれの女性である。「日本はぬるま湯のゆでガエルです、じわりじわりと熱されていき、やがて熱湯になったころには跳躍する力を失っているでしょう。たくさんの選択肢を失い、膨大な損失に苦しめられることになるのは目に見えています。(中略)世界のニュースにしっかりと目を向けて一人ひとりが意識を変えていくことを願ってやみません。」
 へえ、よく言うなあ。ああ、この女性はこのように読者を啓蒙しようとすることが生き甲斐なのだろうか。決してそうではないだろう。関わってしまった場所から関わってしまった事柄を深く掘り下げてみたのだろう。まだ最終の底までは到達していないはずだ。明日から読んでみようと思っている。