25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

倫理

2019年12月23日 | 社会・経済・政治
 かんぽの鈴木副社長の言動を見ていると、人間というのはえらくなればなるほど悪くなるのではないか、と思ってしまう。天下って、総務省の先輩後輩の関係を利用する。えらそうで、潔さもない。いつも悪いことをする人間ではないと思うが、呆れたことをする人だ。どのようにこういう人間になってしまうのか。
 人間は危機に陥ったとき、あるいはとっさの想定外のことに直面したときに、その人間の核心がみえるときがある。突然にある有名女性議員が歩いたところ、週刊誌記者に「不倫をしているのではないか」と直撃された。その狼狽ぶりはその後のどんな言動もダメにした。必死になって再選されたものの、あの狼狽ぶりの映像は彼女の今後に事あるたびにでてくることだろう。
 ぼくらは、その正義ぶる記者も含めて不倫をやってしまうかもわからない存在であるし、政治家に人間の模範たれ、と思っているわけではない。週刊誌であれ、テレビであれ、不倫を報道したがるのは、その種のネタが好きな国民がいること以上に、有名で人気者でもある人間が危機に陥ったときの様に強く興味を引かれるように思える。
 話が逸れてしまった、かんぽの鈴木副社長は営業の最先端などに立って陣頭指揮などしていなかったろう。えらそうにしていただけだと推測する。間違っていたら謝る。
 近代社会に入ってからは戦争の規模が拡大し、国民が戦争に出掛ける、あるいは国民に人を殺させるというようになった。幹部は部屋にいる、という具合だ。記憶力だけがよい学歴人間は部屋の方にいたがる。
 筆記テストでは合格と落第の境界線がある。人間にはそういうテストはないから、天下りを禁止するとか、罰則を設けるしかなく、あとは学校時代の教育しかない。
 選挙後援会の資金引き継ぎをさせて、臆面もなく世襲してわがことの力のようにいる政治家も、倫理的にダメだとぼくは思っている。