南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆誇りの付き合い

2012-11-04 22:38:27 | 喜び

 1389ゴルフが上手ではない私は、仲間と気軽に楽しむのが目的であり、運動の一部とするのが目的である。だから、コンペにエントリーすることはない。ただし、ある会社のコンペだけは例外的に、インドネシアにいる限りは参加することにしている。と、言っても二カ月に一回の割合だし、その時にインドネシアにいなかったりして、今回の参加は多分、今年の一月以来だと思う。

 P.BEDのコンペである。成績はどうだったか、スコアーはどうだったか、は、書きたくないが、賞品としてSOGOの商品券10万Rpとゴルフボールを3個入り二箱貰った。それだけで充分嬉しかったし、一緒にまわった人が優勝したし、もう一人はイーグルを出したし、自分ことでなく、周りに人のことでも、充分、楽しんだ。

 

 1996年にMM2100の中へ始めてきたときにこの会社も建設中だった。その年の暮れに仕事を始めたようなので、私が赴任したK社の直ぐ側だったので、近所付き合いとしての挨拶に伺った。坂本社長からこんなものは出来ますかと聞かれたのが現在もN社で引き継いで作って納めているサイドバンアーという、ベッドの両側に貼られている灰色の長い板のようなものである。その時に、答えたことは、私のK社では2ラインしか装置していないので、現在始めた仕事で、ほぼ、キャパ一杯になっていることと、冷却水槽は引取機の幅が小さくて、その製品を引っ張ることができない、という、理由で、今は出来ないが設備を増やす時に今より大きなものが出来るようにするので、それまで、待ってほしい、でした。その時はそれきりだった。1998年初めに今度は坂本社長の方から、私の方に訪ねてきた。「どうですか、設備はまだですか、実は、押出し成型をしている日系企業2社にお願いしたが、技術的に不可能と断られてしまった。何とか、太田さんにやってほしい」という事でした。その時も、実を言うと、K社では、私に余計なことはしないでほしいと言われていたし、押出に新規に投資する意思が全く感じられなかったし、日本の本社に送っている製品だけで、インドネシア国内売りを押出部門が先行することを気に要らないとしていた。設備が無いから仕方が無い、その時もお断りした。

 技術をインドネシア人に引き継いでもらう目的できている私は、新しい仕事を取らなければ、技術を伝えられないという意識で、会社の尻ごみを承知の上で、私が個人的に設備をするので、採算を取れるようになったら、その装置を、私から、買ってくださいと頼んで、2ラインを、若干強引に手配をしてしまっていた。約2500万円の投資でした。(当時は、まだ、インドネシア国内から引取機やカッター、水槽、押出機などを調達することは出来なかったので、高いが日本から持ってくるしかなかった。ちょっと前に書いたが、今なら、インドネシア国内でそろえれば、一ライン300~400万円で出来る)

 それが、2000年でした。私にとっても始めての原料だったし、形状だったので、かなり難しい物でした。何とかなった時には、ひそかに、ガッツポーズをした。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage036.html

その時から深い付き合いになる。

 

コンペの帰り途中のカルフールで、また、買ったチンペダック。表面はナンカにそっくり、だから、アナック ナンカ(ナンカの子供)という人がいる、しかいし、匂いはドリアンそっくり。味がナンカとドリアンを混ぜた感じ、中の実の状態はナンカのように小さい実に分かれている。約200円、日本人で食べたことがある人は非常に少ないと思う。私はドリアンとともに大好きである。

 

 インドネシアのスーパーならどこでも売られている梨、二十世紀と幸水に似ている、日本のスーパーのよう、味もそっくりである。一個、80円くらいです。これも、塩を振って食べると大変おいしい。

P,BED 付き合い 繋がり

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