南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆怖い話

2012-11-18 22:30:48 | 情報

 1403 前社長から当時までで20年以上目を掛けていただいた前社長から、期待され、相応の報酬を提示され、私が希望する押出成型装置への投資をしていただいて、インドネシアへ希望に燃えてやって来た私に、当時No2だった常務から、「あなたは何もしないでください」と言われた。

前社長から頼まれて、日本へ戻ったついでに、本社や他の日本拠点の営業担当者が集まった機会に、押出成型の営業の難しさに付いて話した。カタログに載せてあるものを売るにではなく、カタログに載せられない技術を売るのだと話した。彼らには難しい話である。しかし、名古屋の一人の営業マンが、「そういう仕事なら、やってほしいと言われている会社が一社ある、この機会に明日、私と一緒に訪問していただけますか」という。早速、M

電気のエスカレーター事業部まで行って、こういうのも(エスカレーターや動く歩道の手すりの中に入る二硫化モリブデン入りの、ひらがなの“つの字“形のプルファイルだった。今作っている会社は明かせないが、価格が高いこと、品質が安定しないこと、納期が遅れ遅れになることなどを挙げて何とかならないかという話だった。

 私としては、それほど難しい仕事とは思わなかった。エッジングやグロメット、名古屋機工向けのチェーンコンベアーのガイドなどをやはり耐摩耗性が優れている二硫化モリブデン30%入りの6ナイロンで作った実績があるからだった。

 その営業マンにインネシアへ戻ったらすぐ、段取りをして三ヶ月後にはサンプルを出すと約束した。個人的に日本で灯油層のバキュームボックスつきの冷却水槽を特注してインドネシアへ送った。二百万円の自腹である。そして約束通り、サンプルを作った。

 

そなとがいけなかったというより、いつかは常務の知るところになり逆鱗に触れることになっただろうが、そのサンプルを私が静岡に返った時、名古屋へ持って行く時間的余裕が無かった。当時、静岡の営業所長をやっていた、Hに託してしまった。この人物が後にインネシアの社長として、赴任してきたバリバリの常務派だった。彼からインドネシアで

酷い目に遭う事など想像もしていなかった。その彼が、常務にサンプルを渡した。

 

そのあと怖い話になる。どうなったか想像がつくでしょうが、明日に続く。

http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0201.html

エッジング、グロメットの話だが、このプロファイルのことも簡単に添えてある。当時の怖い話は書かなかった。

 

ジャカルタの一画、どこら辺りか分かりますか、ラグナン動物園の方向も書いてありますね。

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