南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆英雄の日 

2012-11-11 22:20:38 | 知識

1396 インドネシアのHari Hahlawanである。スカルノやハッタさん、スディルマンさんなど多くの独立に係わった人たちが英雄になっている。日本ではどうか、英雄と言われる人はいない、その方がいい。歴史上の人物で、生き方の参考になっているのは足利尊氏くらいか。

私自身の英雄は誰か、父親である。遺伝的、性格的には母親の影響の方が多いと思うが、知識というか、趣味ななっている仕事への取り組み方は父親から教えてもらった。

 静岡県の富士川町、今は富士川を隔てた向こう側の富士市と合併して富士市富士川町になっているらしい。父親の生まれた土地です。私もその町で生まれた、JR東海道の富士川駅に近い、父親は静岡の静岡工業に汽車通学をした。その町からはたった一人の高校生だったそうです。電気科と機械科しかなく、それぞれ40人しかいなかった。電気科で学んだ、卒業して東京の西武鉄道に勤務、何故か、私が物心が着いた時には地元の隣町の蒲原にある日本軽金属に勤務していた。その物心が着いた時には戦争は終わっていた。

 

手製の“カルメ焼き“と”パン”今日このことを書くつもりでいた。昼間、ゴルフ仲間と食事をしていた時に、インドネシア人の教育についての話になった。私の子供のころの体験を話したら、そうだよね、日本では、親が教育をしたよね、という結果になった。

 

カルメ焼きは銅製のオタマジャクシを使って、サラ目の砂糖を適量のお湯でとかして、七輪炭火で温めるとふっくら上手に膨らんだ。他の方法ではうまく膨らまないこと。

自宅でパンを作る方法、木箱を作ってその両側にブリキ板に電線を繋げた物を作って、その中に小麦粉とサッカリンそれに重曹(重炭酸ソーダ)を水で溶いて混ぜたものを半分くらいの高さまで入れる。電源に繋ぐと、水が抵抗体になって発熱して小麦粉の水溶液を膨らませる。水分がほとんどなくなると自動的に電球は止まる。焼き過ぎることはない。そうして自分で作ったパンやカルメ焼きをおやつにした。小学校の二三年のころでした。

 

小学校の四年の時、父親が運転する自転車の後ろにまたがって座っていた。何かを持っていて父親につかまっていなかった。突然、スピードを上げた時に、二台から後ろに落ちてしまった。したたか、御尻を打って、痛がっている私に、動くものはそのまま同じ速さで進みたがる、その上に乗っている物も同じ速度で進んでいるから、そのまま、場所にいるが、急に止まったり、速くなったりすれば、乗っている物の早さは変わらないから、つんのめったり後ろへこけたりする、と、説明していた。慣性の法則である。その時、地球はものすごい速度で回っているが、回っていることを感じないのは、乗っかっている物も同じ速度で回っているからだよともいっていた。人を自転車から落としておいて、何を言ってるんだ、という気分だった。

 

同じ四年の時、時計の長針と短針が重なるのは何時何分何秒だ?考えてみろ、と言われた時には、方程式など勉強するのは中学校になってからなので、この時には、とにかく、分針が何分進んだら時針がどこまで進んでいるかをいちいち計算して近い何時何分くらいという答えを出した覚えがある。12時以外の11回を全部計算するに5時間かかった。それ以後、算数、数学はだれにも負けないぞという気持ちになった。というより、やると決めたことは、とにかく、何が何でもやり遂げるという習性が染みついたようだ。その気持ちは、現在までの仕事で大いに助かっていた。

 

今日の文章とは全く関係ないが、現在の私の環境はこんなもの、違法、無法地帯。

英雄 尊敬 学習

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