南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆思うこと

2012-11-15 22:23:46 | 情報

 1400 チカラン付近は完全に雨季に突入した。ここ数日、夕方になると雷とともに強烈な雨が降っている。偶に朝にも降ることがある。この時期になると、どんな建物でも雨漏りが始まる。私が住んでいる家も去年より雨漏りは酷くなっている、どこの会社も雨漏りが昨年より酷くなっているはずである。雨が激しく降って始めて分かるので、降る前に修繕は出来ないし、シートを掛けるなどの準備もしない。雨漏りがしても、たいしたことが無ければ、修繕は来年以降になる。

 

トライの結果が思うようにならない。不都合が次々と出てきた。何度も同じ金型を同じ会社で作ってもらっているので、出来てきた金型をチェックすることなく受け入れていて、いざ、取りつけて見ると、図面通りに出来ていない個所があり、樹脂の溜まり場所が出来てしまっていたり、隙間が狭すぎて思うような厚さが出なかったりで、その都度、修正しなければならない状態だ。あらためて、ここはインドネシアだなと思い知らされている。チェックはどんな場合でもしておかなければならないと。明日から四連休になってしまい、金型屋も休みになる、最短で月曜日になってしまう。

 結局、完成せず、サンプル納期遅れ、客先に御免なさいの電話を入れた。ジャバベカの客先はローカルの企業である。

 

 どうされているか気になっていて、久しぶりの元気な声を聞いて安心した。12月初めに帰国することを伝えたら、早速ゴルフの予約をしておくからとのことだった。また、インドネシアへ戻るんだろ、いい加減に日本へ落ちつけよ、とも言われてしまった。とにかく、今のところは、ゆっくり、落ち着いた日々を過ごしている様子、安心した。

 

 森光子さんが亡くなったようですね、肺炎とか。90を過ぎると肺炎に掛ると致命的になるようですね、私の母親もそうでした。特に秋から冬にかけて、次第に寒くなる時期にそう寒くないので、気を付けるのを忘れるようですね。

 

 昨日の事故は直ぐ後ろでしたが、前の様子はいつもこんなものです。

 

 一部既にオープン、ズリホテルです。

用心 ご機嫌 難しい

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(^_-)-☆少しずつ

2012-11-14 22:15:51 | 行きすぎ

 1399 新規受注予定の硬質塩ビパイプのサンプルを作った。一号機で他の製品の試作をしていたが、二号機も運転可能になったので、早速サンプルを作る事にした。三号機の運転は特殊な製品を作る予定なので水槽や金型も既存の物とは違ったその為だけの装置になる。現在、設計中なので、暫く、運転までには時間がかかりそうだ。

 ホタルテープ(Tape kunag-kunag )のプロモーションを少しずつ始めようとしている。まだ、50mのサンプルを作っただけなので、本格的な売る姿勢にはなっていない。ポリエチレンの袋に入れて、5m、10m、20mで準備する。色は二色、黄緑色と青である。

取扱説明書を袋に中に入れようと思う。

Adaptec, Inc.

1 Anti-reflection plate isn't. In bright light and provides light in dark places.

2 First bright light slowly light fade. However, a dark place

Locating can be more than eight hours.

3 If sunlight or room light brightness over and over, then absorb the light. You can be used repeatedly in the outdoors.

4 Remove the cover of the double-sided tape cut to length with scissors and paste.

5 To remove from any place is dusty, wet paste

6 Attach the places you want to see the place when it got dark.

7 If kept in low light is not.

8 Charging the safety check sheet if necessary.

To respond to the inquiries in Japan, Indonesia language

PT. ASKA 08111007012 OTA

 

Adaptec, Inc

1 Anti-reflection piring tidak. Dalam terang dan menyediakan cahaya di tempat-tempat gelap.

2 Pertama terang cahaya memudar perlahan-lahan cahaya. Namun, tempat gelap

Mencari dapat lebih dari delapan jam.

3 Jika sinar matahari atau kamar kecerahan cahaya berulang-ulang, kemudian menyerap cahaya. Dapat digunakan berkali-kali di luar ruangan.

4 Lepaskan penutup double sided pita memotong panjang dengan gunting dan pasta.

5 Untuk menghapus dari setiap tempat adalah pasta berdebu, basah.

6 Melampirkan tempat-tempat yang Anda ingin melihat tempat yang ketika itu sudah gelap.

7 Jika disimpan dalam cahaya rendah adalah tidak.

8 Pengisian keselamatan periksa lembar jika diperlukan.

Untuk menjawab pertanyaan di Jepang, bahasa Indonesia

PT. ASKA 08111007012 OTA

 

 チカランバラットのインターを出たところ、いつものように数車線が二車線になるところ、例によって右端から進んで、壁に沿って前進するのが私の集団、どん、と後ろで音がした、ルームミラーを見ると、私の後に左から割り込んだ車に、私の後ろにくっ付いていた車がぶつかった。ぶつけられた方が文句を言っているらしいが、良くある事故である。

 

 今がハジのピーク、あちこちのマスジッドで壮行会が行われている。とにかく、イスラム教徒にとっては、メッカ巡礼は命をなげうってでも行きたいのです。1%くらいの人はサウジアラビアで命を落とす。それほど過酷とは思えないが、年寄りの体が弱った人も参加するので無理も無いと思う。

 飛行機の乗るのは初めての人も多い、ツアー会社が用意したおそろいの宗教服装と大きなトランク、緊張した様子、無事に戻ってきてくださいね。

試作 初運転 これから

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(^_-)-☆バックアップ

2012-11-13 22:21:18 | 押出成形

 1398 日本では30年以上前から南部化成が出来ないもの、細かい仕事でやりたがらないものを太田化工が引き受けてやってきた。今でもそうしている。耐熱難燃VO6ナイロン黒の小さいスパイラルチューブ、それも、長さが50~300mmくらい、10mm間隔である、典型的な少量多種類の製品である。客先はY社、難燃VOPP丸棒、これも多品種少量である。100本ずつ、束ねるのだが、その数が一本でも多かったり少なかったりすれば、コンプレーンが飛んでくるという代物。足りなければ勿論駄目だが、多くても、余れば、セット落としがあったかもしれないので、セットしたばかりの対象物を全数検査しなければならないという。だから、数はぴったりでなければならない。そんな仕事を手伝って、私も結構儲けさせてもらった。今は、それほどでもなくなっているらしいが、他社では対応できないのでロングランで任されている。

 インドネシアではPT.NANBUの押出部門の開始の手伝いをした。というより、私が全てを仕切って、最初から十分利益が上がるようにした。大量販売ではないが、着実に堅実に運営できるようにして後継者に渡した。その後、日本の南部とインドネシアのNANBUを掛け持ちで、新しい仕事の試作などの手伝いをしていたが、どうも、中へ入ってしまうと、住み心地が悪い。自由が効かない。そこで、契約終了時に黙って止めてしまった。「俺に黙ってさっさとやめてしまいやがって」と、言われたが、話をすれば、引きとめられそうな気がしたので契約切れの話はしなかった。

インドネシアで今、ASKAさんに場所を借りて押出の仕事を始めたが、そういうしがらみがあって、PT.NANBUとはサブコンとしての関係にし、彼らが、出来ないもの、やりたがらないものを引き受けて手伝おうと思っている。その仕事、試作を始めている。ゴルフも頻繁に彼らとやっている。

 

PT,NANBUの押出成型部門はインドネシアでNOワンの技術を持っている。最近、6ナイロンの小型プるロファイルの試作が終わり、客先(T社)の承認も得て、間もなく量産になる。また、PPとエラストマーの二種類樹脂の共押出しプロファイルの生産も始めている。いずれも人眼には着かない車の奥の方に隠れてしまう部品である。これらの仕事は日本でも私が関係した会社でしか作っていない。

他のローカル企業、日系企業が出来ないものはPT.NANBUなら出来ます。もし、できなければ、私がバックアップします。

 

チカランバラットとデルタマスの間に建設中のインターチェンジ。この雰囲気だと今年の末までにオープンになりそうだ。インターチェンジの名前はチバトゥでしょうか、まだ、名前の看板が無い。

 技術 受注生産 開発型

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(^_-)-☆錯乱状態

2012-11-12 22:22:33 | インドネシア

 1397自己喪失の種類がインドネシアには、気絶するのと何かが乗り移って訳のわからないことを言ってのたうちまわるのと、二種類あるようだ。Pigsanとkekacauanである。

気絶するのは身の回りに良くある、場所も年齢も性別もあまりかかわりない。どこでも普通にあることです。出勤してきてバスを降りたとたんによろけながら気絶してしまう人、ゴルフのプレー中、キャディーが突然、座り込んでしまい、仰向けに寝てしまう。仕事を抜けてお祈りに行く、お祈り室で寝てしまっていたのかと思ったら気を失っていた。

キャンティンで炊飯器から杓文字でご飯をよそおうとしてりる時にふらふらと倒れ込んで仕舞う。一緒に旅をしていた女性が、ホテルのカウンターで宿泊の手続きをしていた時に、後ろのソファーに倒れ込んで仕舞った。

 身近でそういう人が普通にいて目の前で倒れられた時には、私は、ほっぺたを叩いて起こすことにしている。数発徐々に強く叩けば気がついてくれる。いったん気がつけば、再び口説してしまう事はない。気がついてキョトンとしているが、ほっぺたを撫でている。痛さが残っているのだと思う。実は、早く気がついてもらうために叩いたと話すと、だから痛いんだという、それだけである。

 

インドネシア人の多くの人は、ミニヤック カユ プティーという気つけ薬のようなものを持っていて、それを鼻の穴付近に塗る。そして、そのまま寝かせおく、普通は数分以内に我に返る。原因の大部分は貧血である。15年ほど前には栄養失調や偏りが原因だったが、今はそれは考えられない。

 

 妙なのは急にあらぬことを叫びながら暴れる現象である。私自身はその状態を目の当たりに見たことはない。人の話によると、会社の中でも従業員がそういう状態になり、何人かに乗り移って、挙句の果てに、祈祷師を呼んでお祈りしてもらい悪霊を追い払ってもらったという。どういうたぐいの祈祷師か知らないが、効き目があるようで、その後その会社では、そういう事はなくなったという、祈祷師を呼ばないと同じ人間が繰り返すそうだ。

 という事だが、テレビでもよくニュースで取り上げられる。決まって学校だけが霊が乗り移る場所?中学か高校である。それも女の子、会社や大学などでは無いようだ。たまに、女性とのそういう姿を見ていた女性の先生に乗り移ることがある。やはり祈祷師が来てお祓いをすると正気になる。その子たちがどういう状態だったか、本人へのインタビューはない。

 日本では全く身の回りに無かったことだし、そういう話を聞いたことも無い、祈祷師がいるという話も来たことが無い。何故、インドネシアにこういう現象があるのでしょうか、私がインドネシアにいる16年間、増えることも無いが下火になることもない。面白いですね。私の目の前で誰かがそういう事になったら、気絶者と同じようにほっぺたをひっぱたいてやりたいと思う。痛さで正気のなるはずである。今のところそんなチャンスはありそうもない。

 

 雁行?ではないが、渡り鳥が北(赤道方面)へ向かっていた。10km先は南シナ海である。どこまで行くのでしょうか。

 ヒラン(失くす)という名前の小鳥です。鳴き声がさわやか、癒しになる。品評会に出すのだそうだ。インドネシアでは、鳥の品評会が盛んに行われている。日本人の愛好者も頻繁に御と連れてくるそうだ。

 気絶 ピグサン 錯乱

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(^_-)-☆英雄の日 

2012-11-11 22:20:38 | 知識

1396 インドネシアのHari Hahlawanである。スカルノやハッタさん、スディルマンさんなど多くの独立に係わった人たちが英雄になっている。日本ではどうか、英雄と言われる人はいない、その方がいい。歴史上の人物で、生き方の参考になっているのは足利尊氏くらいか。

私自身の英雄は誰か、父親である。遺伝的、性格的には母親の影響の方が多いと思うが、知識というか、趣味ななっている仕事への取り組み方は父親から教えてもらった。

 静岡県の富士川町、今は富士川を隔てた向こう側の富士市と合併して富士市富士川町になっているらしい。父親の生まれた土地です。私もその町で生まれた、JR東海道の富士川駅に近い、父親は静岡の静岡工業に汽車通学をした。その町からはたった一人の高校生だったそうです。電気科と機械科しかなく、それぞれ40人しかいなかった。電気科で学んだ、卒業して東京の西武鉄道に勤務、何故か、私が物心が着いた時には地元の隣町の蒲原にある日本軽金属に勤務していた。その物心が着いた時には戦争は終わっていた。

 

手製の“カルメ焼き“と”パン”今日このことを書くつもりでいた。昼間、ゴルフ仲間と食事をしていた時に、インドネシア人の教育についての話になった。私の子供のころの体験を話したら、そうだよね、日本では、親が教育をしたよね、という結果になった。

 

カルメ焼きは銅製のオタマジャクシを使って、サラ目の砂糖を適量のお湯でとかして、七輪炭火で温めるとふっくら上手に膨らんだ。他の方法ではうまく膨らまないこと。

自宅でパンを作る方法、木箱を作ってその両側にブリキ板に電線を繋げた物を作って、その中に小麦粉とサッカリンそれに重曹(重炭酸ソーダ)を水で溶いて混ぜたものを半分くらいの高さまで入れる。電源に繋ぐと、水が抵抗体になって発熱して小麦粉の水溶液を膨らませる。水分がほとんどなくなると自動的に電球は止まる。焼き過ぎることはない。そうして自分で作ったパンやカルメ焼きをおやつにした。小学校の二三年のころでした。

 

小学校の四年の時、父親が運転する自転車の後ろにまたがって座っていた。何かを持っていて父親につかまっていなかった。突然、スピードを上げた時に、二台から後ろに落ちてしまった。したたか、御尻を打って、痛がっている私に、動くものはそのまま同じ速さで進みたがる、その上に乗っている物も同じ速度で進んでいるから、そのまま、場所にいるが、急に止まったり、速くなったりすれば、乗っている物の早さは変わらないから、つんのめったり後ろへこけたりする、と、説明していた。慣性の法則である。その時、地球はものすごい速度で回っているが、回っていることを感じないのは、乗っかっている物も同じ速度で回っているからだよともいっていた。人を自転車から落としておいて、何を言ってるんだ、という気分だった。

 

同じ四年の時、時計の長針と短針が重なるのは何時何分何秒だ?考えてみろ、と言われた時には、方程式など勉強するのは中学校になってからなので、この時には、とにかく、分針が何分進んだら時針がどこまで進んでいるかをいちいち計算して近い何時何分くらいという答えを出した覚えがある。12時以外の11回を全部計算するに5時間かかった。それ以後、算数、数学はだれにも負けないぞという気持ちになった。というより、やると決めたことは、とにかく、何が何でもやり遂げるという習性が染みついたようだ。その気持ちは、現在までの仕事で大いに助かっていた。

 

今日の文章とは全く関係ないが、現在の私の環境はこんなもの、違法、無法地帯。

英雄 尊敬 学習

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(^_-)-☆人それぞれ

2012-11-10 22:24:43 | 生活

 1395 不特定多数の人が集まる場所には近づかない、タクシーはブルーバード系にしましょう、などの、大使館から当たり前のような注意喚起事項が時々、発せられる。そんなことは誰でも分かっているよ、という事ばかりである。

何はなくても酒、という人が多い、インドネシアの日本人、皆さん、調達に苦労をしている様子、私には全く関係ない話、と、言いたいところだが、私が飲まないからかどうか、多くの人から、アルコール類の調達を頼まれる。地方へ行った時にその土地のヤシやマンゴスチンの実から作った地酒を買ったり、タンゲランへ行けばその土地のアラックを買ったりする。私は甘いとか辛いとかの、味が分からないので、ちょっと舐めるくらい口に入れて、目に異常が無いことを確認するくらいである。買ってきた地酒を飲んでもらう人には、最初から一気に飲まないで、体の様子を見ながら徐々に何でほしいと、一言添える。今まで、体に異常があったという人は一人もいない。多くの人から喜んでもらっている。

偶に、バリが多いが、訳のわからない酒を飲んで、何人か死んだという報道がある。地酒には細心の注意が必要です。

 

インドネシアの救急車やパトカー、葬式の列の先導車などサイレンやランプでどけどけと知らせている車が現れても、道のわきで止まってやり過ごすという車はないと言っていい、知らん顔である。避けるという規則というか法規はないようだ。ヒステリックに鳴らすサイレンをうるさいやつだと思うだけらしい。私は道のわきに止まってその車をやり過ぎようとすると、止まるなと怒っているように後ろの車がクラクションを鳴らす。無視して急ぎの車を通す。そうすると、今度はなかなか発進できなくなる。というのはその急いでいる車の後にぴったりつけて走る車が何台も続く、それらの車は、自分も関係者だと言わんばかりにハザードランプを点滅している。やっと流れの後ろに着いた時に私もハザードランプを付けて、その流れに便乗する。笑ってしまう。ただし、その流れに割り込もうとする車が多くて、救急車が通り過ぎた後で事故が発生しやすい。

また、路肩を走る救急車も多いので、後ろに付く車も路肩を走る。パンクをしやすいばかりではなく、路肩が軟弱になっているので、滑り落ちてしまう車、トラックも多い。ジャカルターチカンペックの高速道路では、路肩に転げ落ちている車を見ることは珍しくない。私は落ちたことはないが皆さんの運転手には注意するように言った方がいいと思う。

 

ある金属加工会社へ金型の製作依頼をしに行った。その帰り、昼時だったので、近くのワルンへ寄った。まったく偶然でした。その店をやっていたのがK社とN社でメンテナンスの仕事をやっていた人で、K社で社内結婚した奥さんと一緒だった。私がN社から抜けて直ぐに止めたという。給料が納得できなかったらしい。そこで、半年前から、ミーアヤム、ボゴールという呼び名のオリジナルミーを売ることにしたとか。びっくりした。左側の飲み物を作る屋台の下の方にある水色の小さなプラスチックのコンテナに書いてある文字が見えますか、注目です。

 

 それでも、メンテナンスの仕事をしたいようで、私に職場を紹介してほしいと言っていた。仕事はまじめで腕もいいが、おとなし過ぎて、自己アピールが下手なので、評価する人の目に入らないところがあって、かなり、損をしているような気がする男です。とにかく、K社時代の私の部署に人ばかりではなく、全部の人が、私に、どこか、働き場所を紹介してほしいと言ってきた。大部分の人は、N社を始め、色々な会社に収まっているが、彼のように、はみ出した若者もいる。

偶然 路肩 地酒

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(^_-)-☆道端を占拠

2012-11-09 22:31:05 | 習慣

 1394 朝の道端には、大勢の会社勤めの若者が迎えのバスを待っている。バイクで通う人が多くなったので、会社が向ける送迎バスを使う人は相対的に少なくなった。それでも、何百人、何千人と使っている会社が多いので、やはり大勢の人が右の方向を眺めながら立っている。車道にはみ出している。ミニバス、アンコッタで通う人も同じように立って待っている。朝の道脇には各社の作業服を着た人たちが、纏まって待っている。バスは方面別に向かうに行き、何個所か待つ場所を決めておき、その場所は何時ごと止まるという時間表も作っておく、送りも、同じである。その場所までは各自、徒歩なり、ミニバスなり、オジェックなりで、やってくる。それぞれの補助金額は会社の査定によるでしょう。

次々と入れ替わり立ち替わり、新卒の契約社員として入ってくるのだから、この姿は、何十年も変えわることはないでしょう。

 

 日本では交差点付近何メートル以内は駐停車禁止になっている。インドネシアではそのような交通規則はない様子。交差点という交差点はコアシのバス停になってしまっている。交通渋滞を酷くしている。乗客は脇道から出てくるからである、降りる人も脇道の奥に住んでいるからだ。交差点から場所から離れたところで客待ちをしていても、客はそこまで来ない。だから、争って場所取りをしているのです。警察は渋滞の原因はコアシが駐車するからだと知っているはずである。しかし、何にも感じないようだ。

 その交差点にはカキリマも店を出している。それも禁止ではないらしい。交差点付近はその他の真っすぐな道しかない場所より、客が大勢来るのでしょう。争って場所取りをしているようだ。

 そしてコアシの発進は突然、急角度で右に出てくる、前のコアシと接近して停車しているので、ハンドルを右に一杯切って出てくる、ウインカーを出さないし、顔や手を出して合図をすることも無い、後方確認も無いまま、取りあえず出てくる。通り過ぎようとしている車はそれを避けるために、中央寄りにハンドルを切らざるを得ない、その後方の車からはクラクションを鳴らされる。

 

 夕方になれば、急造のテントレスタラン(ワルン)が店開きをする。そういうミニレストランは誰かの許可を取っているのでしょうか、取っていないと思う。どこから許可を取るのか知らないと思う。許可など必要なしだと思っていると思う。場所取りはオープン前の重要な仕事だ。売上、利益は、場所取りで決まってしまうからだ。

 コアシ アンコッタ ミニバス

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(^_-)-☆道端

2012-11-08 18:41:20 | 情報

 1393 インドネシアの道端は日本に比べれば色々な物があって賑やかである。16年前始めてインドネシアへ来た時に一番気になったことは、良い若者が、朝から夕方も(昼ものことはあまり分からないが)何の家とは特定できないが、家の前にしゃがみ込んで通りを眺めている。半端な人数ではない、どこの上から来たのでしょうか、友達の家の前でしょうか、何かを話している様子も無い。どうも不思議な光景で、車で前を通り過ぎるのだが、視線を感じる。次々と別の若者の前を通るのだから、注目の目と顔が車の進行に従って動いているのが分かる。

 日本人が今日も元気に出勤して行った、また、帰りには、仕事が終わって無事帰って来たねと、毎日、確認してくれているみたいだ。日曜などに家から歩いてそのあたりをふらつくことがある。その時にも、私が通るのを見ている。

 車でも歩いている時でも、何事も無ければ、何事も起きないと思うが、何かあった時、例えば、車とバイクが接触したとか、タイヤがパンクしたとか、そういう時に彼らはどういう行動をするのか、ちょっと、心配だった。しかし、今は全然気にしていない、昔に比べれば、人数が減ったし、場合によっては手を振ったり、声を掛けたりするので、彼らも私に挨拶を返すことが多い。

 

 道端ではないが、中央分離帯、仕切りが狭い場所が多い、何度か道を渡って向かい側へ行ったことがあるが、非常に怖い。大型のトラックやバスも含めて、かなりのスピードで双方から車が来る。こちら側の車の流れが切れた時に先ず、中央分地帯まで行く、そこで、また、車の流れが無くなるまで、暫く待つ、この時ガ、非常に怖い、目と鼻の先をぶんぶん車が通り過ぎる。日本のように人を見たら赤信号と思え、などという、甘い考えは全然通用しない。止まってくれる車など全くない。ちょっと、足を踏み外したり、よろけたりしたら、車と接触しそう。だから、待つことには、足元をしっかり固めて、ふらつかないように心掛ける。ところが、私がくいるまで通過するときに人が目の前に立っているし、突然、中央分離帯から降りて歩きだす人もいる。あまり、恐怖を感じているとは思えない。

 

 一カ月以上前から、中央分離帯に穴を掘って、その土をプラスチックの空き袋に入れて立てかけてあった。3m位の間隔である。何をするつもりなのか気になっていた。最近その穴に小さい木を植えだした。竹の支えを付けて倒れないようにしてある。またかと思った。どうせ直ぐ枯らしてしまうか、折ってしまうに決まっているのに無駄なことをする。事実、今まではポットに植えてあった木も今は枯れてしまってない。その残骸のポットは壊されている状態だ。それを取り除く方が先なのに、それはそのままにしてある。

 

BIIE工業団地の入口、BEKASI INTERNATIONAL INDUSTRIAL ESTATE 私の勤務地です。

無駄使い 危ない 怖い

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(^_-)-☆PVCトライ

2012-11-07 22:31:36 | 押出成形

 1392 硬質PVCプロファイルのトライ、久しぶりの製品だ。10年くらい前に試作をしたが、その時には、ABSで作った。形状は合格だったが、色合わせがうまくいかずに、途中で、日本で作っている会社との関係の客先事情によって、ペンディングになってしまった。その後、暫くして、N社で引き受けることにしたが、どうも、うまくできずに、今まで、延び延びになっていた。日本で作っている会社との関係も薄くなってきたことと、価格に関係で、再び、インドネシアで調達しようという機運になったようだ。

 硬質PVCはとにかく、分解しやすく変色しやすい。黒や濃い色なら問題は少ないが、白だから、ちょっとした変色でもだめ。それをどうしたら防げるかは、塩ビ専門で成形している会社にとっては、常識的に知っていてその対策を施しているはずだが、私のように、塩ビ以外の樹脂は何でも手掛けたが、塩ビばかりはほとんど扱ったことがない人にとっては、とにかく、樹脂が停滞する部分を無くすこと、押出機や金型の中での熱がかかる時間を短くすること、温度もできるだけ低めにすること、そのくらいしか思いつかない。それらを、考慮して、押出機、金型、温度条件を最適にすることを心がけた。

 今日のところは、樹脂は変色しなかったが、肝心の形状と肉厚のバランスがうまくいかなかった。金型の隙間の調整をして、また、明日、トライしようと思う。久しぶりに現場で数時間、立ちっぱなしになっていたので、足が疲れた。

 

 いつもそうだが。若いころからずっと、いったん試作が始まると、充分な体力が必要になる。頭をフル回転させるが、肝心なのは第六感を生かせる体力が必要だ。腕力を使う事もあるが、主に脚力、私だけが分かることです。

 

 チンペダックを一人で食べて満足した。インドネシア人でも食べたことが無い人が大勢いる。レンケルといって、表面に白い粘液が浮いていて、掴むとねっとりしたものが指に纏わりつく、洗ってもなかなか取れない。そんな状態になった時が中身が好い具合に熟れている。独特な甘さはドリアンとは違うが、ナンカでもない、例えようが無い、独特な甘さである。甘さおいしさもドリアンと同じで説明をしても仕方が無いものである。インドネシアにいる人はぜひ一度食べて見てほしいものです。値段はドリアンの四分の一くらいです。

 中心の芯棒に実がくっ付いている。それを一つ一つむしり取る。ナンカの実に似ているが、こちらの方が柔らかくて粘り気がある。独特な口触りというのでしょうか、これもたとえようが無い。種はサラックに似ている。

 試作 根気 体力

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(^_-)-☆住宅事情

2012-11-06 22:23:11 | 行きすぎ

 1391 今住んでいるタマンセントサという分譲住宅地の一画の一戸建て住宅だが、色々、気になる点がある。

1 日本ではあり得ない気になる点だ。同じような作りの住宅がくっ付いて作られている、両隣との境の壁は共通のようだ、隣からの声が聞こえてくるし、壁に何かをしている時にはその音が直接響いてくる。という事は、こちらからも、両隣に響いているはずである。

2 全体が埃っぽい、タイルの床をきれいに水で流してきれいにしても、一日後には、うっすらと、微細な埃か砂が積もっている。足の裏が直ぐに真っ黒になる。足が触れていれば、足跡が着く、という事は、床だけでなく、部屋全体に積もっている、机の上でもテーブルの上でも、ソファーの上でも、全てに積もっているはず。家の中に積もるのだから、家の外にある洗濯機の上などは洗濯をする前に洗濯機を洗わなければならない。物干しもバーをしっかり拭いてからでなければ干せない。ということだから、干した物にも見えないが埃が付着している、乾いたらできるだけ取りこまなければならないし、埃を払ってから、アイロン掛けをするなど、次の工程に移らなければならない。

3 水が汚いし、どこの家庭でも使う時間には、チョロチョロとしか出なくなる。時には全く出なくなる。水の汚さは酷いもので、貯めておくと底に砂が積もる。これでは、時には藻のような緑色のグニャグニャの塊も出てくる、水道管に付着して物が出てくるのでしょう。選択する時には、暫く、藻や砂を出し切ってから、水槽に貯めなければならない、それでも、洗濯を始めてから、出てきてしまう場合もある。

4 ゴミの収集日と時間は水曜日と土曜日、朝、7時前と決められていると聞いたが、その通りに来ない。一週間以上来ないこともある。買い物をした時のプラスチックの袋の三重以上にして家の前に予定の日の前日の夜に出しておくが、大きな袋を背負って、番線の先を90度に曲げたゴミあさりの道具を持った人が、袋を破って中身を点検する、ボトルや新聞紙などが入っていればそれだけを持って行く、後始末はしない。生ゴミも他のゴミも散乱したまま、そこへ山羊がやってきて生ごみを主に食べてゆく、どうしようもない。

5 雨漏りがする。隣と隔てている壁の中を通って、その床から水がしみ出して来る。天井や壁には沁み跡はないが壁の下から出てくるのです。今は偶に振るだけだから、まだいいが、本格的雨季になったら、床上浸水が予想される。

 今まで、住んでいた分譲住宅地ではこんなことはなかった。勿論、値段も高かった。それだけ、一般庶民の住宅地という事でしょう。だから、インドネシア人にとっては決して安くないが、私にとっては値段も安い。値段の安さは、日本の住環境との離れ具合を表しているのでしょう。安いのだから、贅沢を言ってはいけないよ、という事でしょう。中級の住宅地でこれだから、それ以下は、もっともっと酷いという事が想像できる。

 これだからと言って、私がここにいたくない理由にはならない。近所の人達とは親しくなっているし、セキュリティーも親しいし、信用もしている。

 

6 住宅事情ではなくて、場所について負担が多くなった。今の会社へのアクセス状況がよろしくない。出勤の時には問題ないが、家に戻るときには、家がある住宅地の前を通り過ぎて1km以上離れた高速道路の入り口前のUターン場所まで行って、戻って来なければならない。それの流れがスムーズならいいが、渋滞の中なのでなお、負担に思う。

 

まな板や包丁はディスペンサーのお湯で消毒してあるが、その後、何が付着しているかわからないので、ガロンのアクアで洗って、塩をまぶしてから食べます。

 

きれいに拭いた二日後、砂埃で足跡が着く。塵も積もれば直ぐに山になりそうだ。

 

で、6が決定的理由で、今の家の契約が切れる前、来年、一月末前に、どこかへ、移ろうと思い、物色を始めている。出来るだけ安くて、汚くないところが条件。

 並み 平均 塵

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(^_-)-☆仲間意識

2012-11-05 22:23:22 | インドネシア

 1390 昨日の続きの話です。坂本さんの期待を裏切らないで済んだことを安堵した。そのあたりから結構深い交流が始まった。購買の担当者は帰国し、新しい人がやって来た。二人態勢だった。私が、インドネシア中の旅をして回っているという話になって、その2000年を過ぎたあたりから、デジカメで写真を取っていることを知った坂本さんから、「P,BEDの卓上カレンダーの毎月の写真、太田さんの写真を使わせてもらえないか」とい話がった。その年から、写真の提供が始まった。もう、10年以上続いていることになる。多い年で11カ月、少ない年でも八カ月は私の写真が使われていた。2012年、今年は10枚使われている。2013年のカレンダーは印刷中、間もなく出来あがってくる。インドネシア中の病院の院長の机には、そのカレンダーが置かれているはずです。残念ながら、私としては、インドネシア中、サバンからムラオケまで旅をし尽くしたという感じで、次からは旅をするにしても二回目以上になるので、同じ場所の写真を提供しても仕方が無いかなと思うようになってきた。しかし、使っていただけるなら、いつまでも、提供して行きたいと思っている。

 

 仕事の方ですが、K社が撤退するに当たり、A社に装置、技術を移転した。しかし、これが、大問題、当時の両者の社長の引く継ぎ方が何もかもいい加減だった。従業員(私の教え子)の移動も私の考えと違って、次に就職が所を紹介するという(別に紹介ではない、A社に機械とともに移すだけの話で、何の負担も掛っていない)理由で退職金を値切った。それに不満を持った従業員が退職を拒否した。A社の社長は、彼らは過激だと判断し、来てくれなくてもいい、という考えになり、彼らに示した給料はK社時代の三分に二だった。それも。正規社員としてではなく。契約社員だという。技術は私の物だし、従業員も私に子供、仲介した、私の気持ちは全く無視された。A社にとって強力な援護になるはずなのに、乗っ取られるという恐怖を感じてしまったらしい。揉めた挙句、従業員は来たが、不満たらたら、退職金は射出部門に比べると三分の二、新しい職場の条件も劣悪、私は、彼らに対する責任を取らなければならなかった。

また。K社当時の客先に新たにA社としての見積もりを出したが、平均で30%以上の値上げを要求することになってしまった。客先は私に不満を持ってきた。それらの話でA社の社長に談判したが、逆にA社を首にされた。

 

 彼らが満足して仕事ができる場を作ってあげなければならない。そこで、マクタという会社を作って、彼らのほとんど全員を引き取った。K社からA社に移された製品の中で、品質の問題がある物、価格が高すぎる物、などはマクタで生産させていただくことになった。当然客先の担当者は、当初、私が作って提供した製品であることは十分承知なので、安心して私の任せていただけた。その中の一社がP.BEDでした。A社ではいつまでたっても製品が作れないのだから仕方が無い。A社の従業員も私の教え子だが、そのことで、相談を受けても、A社の社長の横暴さの中では、教えてあげるわけには、行かなくなっていた。

 

 その他に何社かとともにマクタで生産を始め直ぐに納品も始まった。それから、二年後にN社がインドネシアへ進出することになり、マクタはN社に吸収される形になった。従業員全員は正規雇用にしてもらった。押出し部門は当初から利益を上げていた、今でも堅実に利益をもたらしている。

N社とは30年以上の付き合いで、このたび、クーデターで辞職せざるを得なくなった会長とは、ゴルフ仲間なので、進出の仲介やお手伝いをした縁もあって、「マクタをN社にくれよ」という話を断り切れずにマクタの全部を引き取ってもらった。P,BEDの製品も当然、N社から提供することになり、今ではサイドバンパーだけではなく、種類も増えている。細野さんという方が当時の購買担当者でした。

http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0007.html

 

 P,BEDの社長も初代坂本さんから三代目の社長になっているし、購買の担当者も交代しているし、その他にも日本人が4~5人いて、忙しくなったインドネシア国内入りに対応しているようです。私はN社から出て、新たな職場にいるが、N社とP,BEDとのお付き合いは、今までと変わらない、頻繁に一緒にゴルフを楽しんでいる。そして、インドネシアで私に万が一のことがあれば、放っておかない人達たちの一部になっていただいていると思っている。

 

 町内の小金持ちの家の子供が割礼の後のお披露目パレード、中華系イスラムでしょうか、オドンオドンとバロンサイが混じっていた。

 流れ 相互 仲間意識

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(^_-)-☆誇りの付き合い

2012-11-04 22:38:27 | 喜び

 1389ゴルフが上手ではない私は、仲間と気軽に楽しむのが目的であり、運動の一部とするのが目的である。だから、コンペにエントリーすることはない。ただし、ある会社のコンペだけは例外的に、インドネシアにいる限りは参加することにしている。と、言っても二カ月に一回の割合だし、その時にインドネシアにいなかったりして、今回の参加は多分、今年の一月以来だと思う。

 P.BEDのコンペである。成績はどうだったか、スコアーはどうだったか、は、書きたくないが、賞品としてSOGOの商品券10万Rpとゴルフボールを3個入り二箱貰った。それだけで充分嬉しかったし、一緒にまわった人が優勝したし、もう一人はイーグルを出したし、自分ことでなく、周りに人のことでも、充分、楽しんだ。

 

 1996年にMM2100の中へ始めてきたときにこの会社も建設中だった。その年の暮れに仕事を始めたようなので、私が赴任したK社の直ぐ側だったので、近所付き合いとしての挨拶に伺った。坂本社長からこんなものは出来ますかと聞かれたのが現在もN社で引き継いで作って納めているサイドバンアーという、ベッドの両側に貼られている灰色の長い板のようなものである。その時に、答えたことは、私のK社では2ラインしか装置していないので、現在始めた仕事で、ほぼ、キャパ一杯になっていることと、冷却水槽は引取機の幅が小さくて、その製品を引っ張ることができない、という、理由で、今は出来ないが設備を増やす時に今より大きなものが出来るようにするので、それまで、待ってほしい、でした。その時はそれきりだった。1998年初めに今度は坂本社長の方から、私の方に訪ねてきた。「どうですか、設備はまだですか、実は、押出し成型をしている日系企業2社にお願いしたが、技術的に不可能と断られてしまった。何とか、太田さんにやってほしい」という事でした。その時も、実を言うと、K社では、私に余計なことはしないでほしいと言われていたし、押出に新規に投資する意思が全く感じられなかったし、日本の本社に送っている製品だけで、インドネシア国内売りを押出部門が先行することを気に要らないとしていた。設備が無いから仕方が無い、その時もお断りした。

 技術をインドネシア人に引き継いでもらう目的できている私は、新しい仕事を取らなければ、技術を伝えられないという意識で、会社の尻ごみを承知の上で、私が個人的に設備をするので、採算を取れるようになったら、その装置を、私から、買ってくださいと頼んで、2ラインを、若干強引に手配をしてしまっていた。約2500万円の投資でした。(当時は、まだ、インドネシア国内から引取機やカッター、水槽、押出機などを調達することは出来なかったので、高いが日本から持ってくるしかなかった。ちょっと前に書いたが、今なら、インドネシア国内でそろえれば、一ライン300~400万円で出来る)

 それが、2000年でした。私にとっても始めての原料だったし、形状だったので、かなり難しい物でした。何とかなった時には、ひそかに、ガッツポーズをした。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage036.html

その時から深い付き合いになる。

 

コンペの帰り途中のカルフールで、また、買ったチンペダック。表面はナンカにそっくり、だから、アナック ナンカ(ナンカの子供)という人がいる、しかいし、匂いはドリアンそっくり。味がナンカとドリアンを混ぜた感じ、中の実の状態はナンカのように小さい実に分かれている。約200円、日本人で食べたことがある人は非常に少ないと思う。私はドリアンとともに大好きである。

 

 インドネシアのスーパーならどこでも売られている梨、二十世紀と幸水に似ている、日本のスーパーのよう、味もそっくりである。一個、80円くらいです。これも、塩を振って食べると大変おいしい。

P,BED 付き合い 繋がり

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(^_-)-☆私の誕生日

2012-11-03 22:07:29 | 生活

 1388 文化の日と一日違いを子供のころから残念に思っていた。文化人の一歩手前というところでしょうか。69歳になった。相当な爺である。それでも、まだまだ、ボケとはかなり先の遠い話のような気がする。

 

 年を重ねてきて、年々、変化をしていることがある。もう、6年前である、パニック障害の症状がはっきり現れる前に、幾つかの予兆と思われる変化があった。その変化は、年を取って来たからと解釈していて、特に気にしていなかった。そして、今、パニック障害の症状がなくなってしまったが、その予兆と年齢を重ねたからの現象と重なるところがある。

 

 その現象とは、顔の肉が垂れてきたこと、しわも増えたが、頬の肉つきが良いわけではないのに、何となく、下がってきている。それが、いかにも年寄りになったという顔になってしまっているようだ。目の両側の端も垂れてきて、かなり垂れ目になってきた。それらを、持ち上げるというか、垂れないように何か顔のマッサージとか運動とか在るのだと思うが、そういうことは一切していない。太ればもっと垂れるだろうし、痩せて肉を少なくしたら、もっと、年寄り顔になってしまうでしょうから、現状のまま、なるようにしかならないと思っている。

 

 唾液の分泌量が明らかに少なくなってきている。ほとんど、分泌されなくなってきていると言った方が適切かもしれない。運動中は水分をひっきりなしに補給しているが、運動をしていない時でも、口の中が渇くので、頻繁に水を口に含む。だから、水のボトルはいつも携行している。話をするときには特に口の中が渇くので、水は欠かせない。

 子供のころ、演壇で話をする人のために水が用意されていて、その人が時々それを飲む。その分けが、年を取ってから分かった。

 

 水を沢山補給するからかどうかわからないが、睡眠時間にトイレに行きたくなって目が覚めてしまう。寝小便をしないのが救いだが、3時間くらいしか継続して眠ることができない。夜中に平均2回それで起きてしまう。日本へ帰った時にぎっくり腰の時や風邪をひいたときに町医者へ行くことがある。待合室に、“夜、頻繁にトイレに行く人は相談してください“と書いた紙が貼られている。そういう相談が多いのだなと思うが、私はまだ相談をしていない。というのは、3時間しか継続してなられなくても、用を足した後、また、直ぐ眠ってしまうから、それを、それほど、苦痛に思わないし、気にしないからである。年を取ればこんなものかと思うだけである。

 他にもたくさんあるが、これだけにしておく。

 

ご存知のようにインドネシアでは誕生日を迎えた人が皆さんに振舞わなければならいという習慣になっている。しかし。まだ、ここで仕事をし出して間がないので、皆さんに振舞うのはどうかな、と思い、誕生日のことは内緒にした。静かな誕生日でした。

 

お爺ちゃんはインドネシアでこんなものを作っているよ。売れるか売れないか分からないけど、ホビーだから、インドネシアでは今までないものだから、作ってみたよ。発光顔料と両面テープを張った製品。

 

部屋の明かりがついている時。

 

部屋の明かりを消して30分後

 

69才 老け顔 垂れ目

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(^_-)-☆孫の誕生日

2012-11-02 22:17:34 | 

 1387 今年は、日本でちょっとの間仕事をしていたので、一緒の日数は他の年より多かったが、それでも、60日程度か、一緒の時はいい加減に遠ざかりたいと思うが、暫く、離れていると、顔を見たくなるものだ。

 アンジェリーナ 眞弓 孫の誕生日 6歳になった。早いものだね。来年は学校だね。先ほど、電話をして声を聞いた。元気そう。孫の声を聞くのは何よりも気分がなごむ、今度会えるのは12月に入ってからになる。

 

 試作が続いている。何点かの試作品が出来たので、こんなものです。如何でしょうか。使い道は何ですかと、インドネシア人が私に聞く。逆に私から彼らに聞く。ヘルメット、背中、バイクや自転車の後ろ、などの答えが返ってくる。それらは現在、反射素材を使っている場所です。それらは、光を当てればキラキラ光る素材を使っている場所です。彼らは、それと、同じだと思うのです。

 

 そうではなくて、光を当ててもキラキラ光らないよ。太陽でも部屋の明かりでも、明るければそれらを吸収して、暗い時にそれらの光を放つ、光が無い時の自分で光をだすんだよ、と、説明する。それでもどうも分からないようだ。実際にお目にかかったことが無いから、どんなものか想像できないらしい。一人、「時計の文字盤に使われているのと同じでしょ」そして、もう一人が、「猫の目のようなものでしょ」と、言っていた。「その通り、ホタルってインドネシアにいるの?小さい動物で夜、舞いながら、お尻からぼっと明りを出す動物だよ、それと同じだよ」というと、「クナンクナンでしょ」という、「そう、インドネシア語では、ホタルのことをクナンクナンというのか。そうだね、そう名前を付けたらいいかもしれない、“テープ クナンクナン”にしようかな、“テープ マタ クチン”より良いだろ」といった具合。結構、盛り上がった。

 

 その他の準備も着々と進めているが、次の試作品はウエイトバーと言って、布巻き上げ式のブラインドの重りというか、巻き上げの芯というか、ウエートだから、重りでしょうね。真っ白に近いPVCなので、変色が問題になることは、はっきりしている。こういう製品のデザインをする人は成形の難しさなどは考えない。PVCは茶色く変色しやすいので、白ではなく、黒とか赤や茶色にしてくれれば、簡単に出来て安くできるのに、また、どうしても白にしたいなら、PVCでなくてPPやPEなどにすれば、やはり安くできるのに、インドネシアでももっと早くできるのに、今まで出来ないという事はインドネシアの技術では難しいのです。それを、私がやろうとしているのです。楽しみです。

 蛍 猫の目 文字盤

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(^_-)-☆オンONkan

2012-11-01 22:16:10 | 押出成形

 1386 今朝から、私が、インドネシアで売れそうだと思う製品のトライを始めた。製品は至って簡単、誰でも出来る物です。それでも、とにかく、インドネシアで5場所目の開業である。

 

設備は押出し機三台、特徴は小物製品を作るために、20φ、30φ、40φそれぞれ一ライン計三ラインでスタートした。ただし、まだ動かせるのは、20φだけ、今週中に30φの試運転をする。40φは、新しく来た仕事に対応するために、水槽などの後工程は作らない。

 引取機はナイフカッター付きが三台、押出機、引取機はハギノ機工から購入したもの。バキュームポンプ付き冷却水槽はインドネシア製、金型類は全てインドネシア製です。

 

 仕事は主に私が作ってみたい製品を作ることから始める。外からの受注については特に営業はしない。しかし、現在、硬質PVCのプルファイル2種類とLDPEのプロファイル1種類の試作を頼まれている。もう一つ、まだ、明かせないが、日本でも一社しか作っていない製品で日系3社の押出成型屋に断られたものを、どうしてもインドネシアで作ってほしいという話があり、それに、対応しようと思っている。

 

 その他に、自社で押出し製品を作りたいという会社があればそれのお手伝いをしようかと思っている。インドネシアには、自社で使う押出し製品を作るために、高額な設備を日本から技術込みで輸入して使っている会社が何社かある。それらの、会社は、その製品しかできない。稼働率が悪くても、他からの受注生産は出来ないし、定款上も出来ない。以前、そういう会社から、自分のところで作らないで太田さんのところで作ってもらうようにするから輸入した押出成形ラインを買ってほしいと見積もりを出されたことがあった。

 そのチューブの製造装置をインドネシアで私が準備するなら500万円以下である。ところが、すでに中古になっているその装置は2000万円だという。一体、買った値段は幾らかと聞いたら3000万円だそうだ。とんでもない価格である。その装置自体、もし私が使うなら、改造したい部分が多い、その他の樹脂や形状も出来るようにしたいからだ。丁重にお断りした。仕方が無く、その会社では50%位の稼働率で自社用のチューブを今でも作っているが、そのチューブ以外の原料を使うものや形状が違うものは出来ないので、私が引き受けてやっていた。今はN社がそのまま引き継いでやっている。

 

 今日の試作は無事終了した。幾つかの試作品の中から売れそうな色や濃さをチェックして、最良と私が思う配合で明日、両面テープを張って押出してみようと思う。

 

 私の名刺です。メンテナンスや機械の輸入仲介などをする会社PT,ASKAにお世話になりながら、押出成型の仕事を始めました。

今も日本や外国から輸入して使っている押出成型品でインドネシアから調達したいと思っておられる方、自社で押出成形装置を内製したい方、声を掛けてください。現在、インドネシアにあるプラスチック押出成型会社では出来ないもの全ては私に話していただければ、全て私が作らせていただきます。決して、「出来ません」とお断りすることはありません。

 

余談ですが、インドネシア語の一口口座、ONkanの意味は“ONをする”です。インドネシア語では一般に名詞にkanを付けると他動詞になります。英語の名刺にkanを付けて他動詞として使うことは普通です。例えばOFFにkanを付けて“OFFにする”になります。

 

 開業 道楽 趣味

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