エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

縄文の息吹を感じ、そのDNAに生きる!

2011年01月08日 | ポエム
縄文時代からの息吹が強く感じられる場所に、貝塚がある。
そこはパワースポットでもあると報告したのである。

弥生人という渡来系の武力集団が縄文人を圧迫するのだけれど、その悲しみ・・・武器の圧倒的な劣勢の中で抵抗した縄文人の優しさを感じるのである。



縄文人はこの小石の上で、食物を蒸したのである。
肉は一層美味さを増したに違いないのだ。

今年はひとつのライフワークとして、縄文を考えてみたいのである。



石器時代はこうしてマンモスの骨格や牙を利用した住まいを工夫したのである。



縄文初期になると、草木を利用する術を体得したのであった。
軽い素材で、簡単に雨露がしのげるのである。

しかもこうした草木素材は、強くしなる。
長持ちするのであった




        縄文からの息吹を感じよ


      その息吹を感じるとき
      ぼくの官能は小刻みに震え
      光が水に融け込むような
      痛々しいジレンマに怯えるのだ
      刹那
      周囲の現象はブラックホールに呑み込まれ
      ぼくに身の上に
      ビッグ・バンが渦巻くという
      次第である

      その感性と痛々しく震える官能は
      息吹きという現象に転嫁していく

      縄文からの息吹は
      木霊となってぼくの真空の胎内に鳴り響く

      先祖帰りする神経の一本一本が
      傷つきながら
      螺旋的に
      現在に戻ってくるのだ

      ぼくの神経は間違いなく
      狂乱怒濤の中にあって
      磨耗するのだ

      縄文の平穏を脅かしたのは
      弥生の人々の攻撃的侵略なのか
      渡来する文明の脅威に
      縄文は耐えられなかったのだ
      文明の発展が担保される悲劇
      滅亡と発展は同義語であって
      歴史の必然であった

      いま
      改めて痛苦な告白を聴くときである
      縄文の悲哀と
      苦痛に満ち溢れた
      新たな時代
      官能の
      無限に爆発する歓喜
      を





原始、女性は太陽であった。
平塚らいてふ(らいてう、あるいは雷鳥とも表記される)の言葉である。



戦前と戦後に亘る女性解放運動・婦人運動の指導者で、後年には平和運動にも関わった女性である。
いつの時代も女性は偉大である。



こうした自然の林には、生き物が蠢いていて宇宙を完成させていたのである。






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