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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

冬枯れの赤き葉・・・その名残にペーソスを感じたのである

2011年01月25日 | ポエム
この一年間、日本列島と言わずこの惑星が異常気象に苦しめられた。
まるで驕(おご)った人類を窘(たしな)めるかのように。

大雪の被害は人への被害だけではなく、自治体への財政的被害をも引き起こしている。
南米ブラジルのリオ・デ・ジャネイロの水害は有史以来の惨劇であるというのである。

身近に感じる異常気候も数多いのである。
ぼくは、その現象に心がざわめき立ってしかたがない。






        赤き葉の悲しき定めに


      赤き葉の一片に心ざわめく時もある
      泡立つようなきみの素肌に
      触れることも無く
      赤き葉の孤独にきみは
      ざわめかないというのか

      きみの隙間に
      少しだけでも場所をくれないか
      失ってきた時間と時空を
      必ず取り返してあげるから
      赤き葉の色合いがそう言っている

      日差しの和らぐ午後の孤独よ
      傾く地軸のままに
      磁力の移動などはありえないという
      極致にあってきみは磁場を感じ
      磁場を踏み倒していくというのだろうか

      赤き葉の一片は
      いつまでも失わないという
      きみの純情の孤独だというのか
      磁場と地軸の関係が
      きみのすべてであると確信させたまえ








何時までも散らない葉の悲しみが迫ってくるのである。
このハゼの木は、いつもならとうの昔に真っ赤に葉を紅葉させて丸裸になっているのである。



下の植え込みを見ると、どす黒く変色した葉が落ちている。
悲しくなってしまうのである。

そう・・・異常気象は地軸をも揺らしかねないのである。
地軸の一寸したずれで終わるのなら、一過性だけれど、これに太陽の活動でもリンクしてきたら大変である。

マヤの予言はハルマゲドンなどでは無く、次の新しい時代の始まりであると理解できるけれど、人類がこの地球を壊したのだとしたら神の逆鱗に触れてしまうのではないかと恐れるのである。

ぼくは無神論者であるけれど、人の英知の限界と、驕りへの恐れは持っている。
それを神の意思と言うのなら、きっとそうなのだと思うのである。

そうだとしても、赤みの残った葉に心の襞を感じてしまうノーテンキに驚愕するのである。






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                     荒野人

上野東照宮、寛永寺の冬牡丹は雪囲いの中で・・・2

2011年01月25日 | 
昨日に引き続いて、今日は残りの牡丹を紹介したいのである。
雪囲いの上に雪でも積っていると更に風情が増すのだけれど、東京は晴天続きであって乾燥した日々が続いている。
残念である。

だがしかし、花にとってはそこそこ花持ちの良い気候なのかもしれず、水遣りの苦労さえ惜しまなければ理想的であるのだろう。

「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」
シャクヤクのように風情があり、牡丹のように華麗で、百合のように清楚という、女性の美しさを形容することばである。



「紀ノ川」



「白雪」



「白月錦」



「八千代」



「玉簾」



「寒紫」



「花遊」

牡丹の花言葉は「王者の風格」「風格あるふるまい」である。
寛永寺の管理も大変なのだろうけれど。こうして眼福を提供していただけるのは幸せである。



僧侶の誰かが悪戯心(いたづら)で仕掛けたのであろうか・・・。
花簪(はなかんざし)が雪囲いの中に植えられている。
三つの株を、三つの雪囲いが寄り添って守っている。

花簪の花言葉「思いやり」「温順」「永遠の愛」 である。
ぼくの気持で言えば、お互いに素直になれないあなたへの愛情でもある。


   そのあたり ほのとぬくしや 寒ぼたん
                    高浜虚子

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とても素敵である。






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