エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

日本の月とバンコクの月

2011年01月18日 | 日記
何処で眺めても月は月。
そうは言っても、夫々の思いがあって月を見上げるのである。



12日のバンコクの月である。
喧騒と排気ガスに満ちたバンコクの繁華街からだって月は見上げられる。
ちなみに、この半月はシーロム通りの外れから撮影した。

この朝方、バンコクは乾季で滅多に降らない驟雨が舞った。
空気は浄化されたのであろうか・・・。

くっきりと月が眺められたのである。
やっぱりウサギさんがお餅を搗いている。

バンコクは三日前、半月であった。



これは今日の月である。
満月と言っても良い丸さである。

なんだかこっちの方がボヤケている。
東京は、雨も降らず空気が汚れているのかもしれない。



月は心の鏡である。
バンコクは楽しかったけれど、日本では政治・経済とも心浮かないのである。

先行きがボヤケているのである。

少しばかり・・・穿(うが)ち過ぎかもしれないけれど。
寒さで心身がこごんでしまっているのである。





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バンコク・NOW「ワット・ポーの涅槃仏」

2011年01月18日 | 旅行
ワット・ポー「涅槃仏寺」である。
巨大な涅槃仏がまします寺院なのである。



大きな涅槃仏である。
涅槃仏(ねはんぶつ)とは、釈迦が入滅する様子を仏像としてあらわしたものなのである。
寝仏、寝釈迦像、涅槃像とも呼ばれ、足の裏には宇宙観を示す文様などが描かれているのである。



足の裏である。
仏教で言う、宇宙観なのであるけれど凡庸なぼくには到底理解できないのである。



因みに、寝姿の背中である。

宗教に熱心なラーマ3世による命で制作が始まった仏像である。
全身が金箔で覆われており、眼と足の裏には真珠貝の内面が使われている。
足の裏にはインドと中国とタイの混合様式で仏教の宇宙観に関することが描かれている。



この寺院はご多分に漏れず王室の庇護を受けている、王室の寺院である。
金ぴかの仏像が多く鎮座されている。



こうした仏塔は王の墓であるとされている。



建屋も中国の焼き物をあえて毀し、装飾として貼り付けているのである。
その意味ではオリエンタルな香りが馥郁と香り立っている。



敷地も広いのである。



見事な光背が輝いているのである。



数を数えるのも疲れる仏像の多さである。
一木一草にいたるまで、精霊(ピー)が宿る国である。

仏の数はいくらあっても足りないのである。
天使の都は、まさに天使や精霊に溢れる都なのである。





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