エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

梅、蝋梅そして大寒の日に思うことなど

2011年01月21日 | 
昨日は大寒・・・満月であった。

蝋梅が咲いて、やがて梅が咲き誇る今日この頃である。
日本海側や西日本は、荒れに荒れる寒気の只中にある。

東京は年明け以降雨も降らず、カラカラの大気に包まれている。
今日ぼくはリップ・クリームなどを買い求めてしまった。

不覚にも、朝大口を開けたら唇に違和感があったのである。
乾いていたせいだろうか。



ずっと良い天気であり、空が青い。
青空には紅梅が良く似合う・・・のである。



梅のデザインはこうしたアングルから見た花であるに違いない。
梅鉢模様の原点である。

梅の甘酸っぱい香りに手繰り寄せられるように、メジロやヒヨドリなどの小さな鳥たちが寄ってくる。



家の近所に梅林公園があるのだけれど、その一画に蝋梅が咲いているのである。
紅梅の赤に蝋梅の黄色ががそのコントラストを見せてくれる。

いっそ小気味良いのである。



蝋梅だって、青空に似合っている。
蝋梅の匂いは甘い。

まるで君のうなじのような分泌液である。
そっと舌の上に乗せたら、案の定甘かった。



蝋梅は匂い立つ蜜の甘さである。
アリンコが蜜を吸っている。

紅梅は「香り」
蝋梅は「匂い」

であるのだ。






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                     荒野人

今年初めて出会ったメジロは早咲きの寒桜の枝で・・・

2011年01月21日 | 日記
今年初めてメジロと遭遇したのである。
早咲きの桜の枝で、咲き初めた桜花の蜜を吸っていた。

穏やかな日差しの中で、そのメジロは二羽の仲間とともに早い春を満喫しているようであった。



白く縁取られた目の周りは春を告げるかのように鮮明で、こちらもウキウキするようである。
二羽が戯れながら蜜を吸っている。

恋人同士でもあろうか?
楽しそうで、時々位置を変えたりして日差しを浴びているのである。
蜜はきっと甘いのであろう。



この朝、ぼくは何時ものように行きつけのカフェでアイス・オーレを頂きながら乗る電車の時間を調整していたのである。

テーブルには南天の赤い実を数粒。
それに、カリカリの乾燥し切ってポテト・チップス化した欅の一枝。
季節を目でおいながらカフェを楽しんだのであった。



やがて時間が来て、駅に降りるとき・・・のことである。
何気なくふっと見上げた視線の先に「檸檬」の実が鮮やかな黄色と紡錘形の形で生っているのである。

今まで気付くことも無く遣り過ごしていた風景に出合ったのである。
口中に唾液が溢れ、檸檬が網膜に残ったのであった。

出来るなら、あの檸檬を一果いただき、梶井基次郎のように書店の平積みの書籍の上にそっと置きたい!
そんな欲望が過(よぎ)ったのである。

そう出来るならば「高田 郁」さんの文庫本の上にでも置きたいものだ、と勝手に邪推しつつ打ち合わせの場所に出かけたのであった。






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