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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

今日の空と雲・・・鮮やかな冬である

2011年01月23日 | 日記
今日の空は、一点の汚れも無いキャンバスとなって自在に雲を遊弋させている。
枯れ枝をもキャンバスに取り込み、筆を走らせるのであった。



三様の雲を見せたいのである。





如何であろうか?
まことに以って、筆致(ひっち)の見事さである。

次は枯れ枝を取り込んだキャンバスである。







これも三様の絵画である。

ヒトの手では描ききれないのであるけれど、自然の力にただ舌を巻くのみである。
この現象こそ神の手であるとしか言えないのだ。

神の手が描く、極楽の天であるのかもしれない。



この空の見事さを「知ってか知らでか・・・!」人々はフリーマケットで品々を売り買いしているのである。



モニュメントの上に拡がる空と雲は、人の思惑など知らず、ただ千変万化しつつ流れ去って行った。






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                     荒野人

バンコク・NOW「チャオプラヤー河に捧ぐ」

2011年01月23日 | ポエム
チャオプラヤー河は、バンコクを二つに分けるかのように流れる大河である。
その流れは滔々としていて、人の意思にお構いなく駘蕩と流れるのである。

河の両岸には、近代建築が聳えるのである







        河の流れを見つめる


      河が流れるとき
      ぼくは
      あなたを求めたい
      河は
      留まることを知らず
      いつまでも
      流れ続け
      やがて
      大海原へとなだれ込む
      痛いほどの
      海への突出は
      著しく
      あなたをイメージさせる
      あなたの豊かな肉体が
      大河と大海原とが激しく混じり合う
      その接点となって
      ぼくを苦しめ
      ぼくをじらし続ける
      あなたは
      大河に問え
      と
      ぼくをいたぶるのだ
      混沌である
      そのカオスが
      薄汚く泥の河となり果てても
      だがしかし
      あなたは
      清浄であって
      白く美しい

      河の流れは
      とうとうとして
      あらゆる物体を
      留めない
      拒否し
      流れのまま捨て去っていく
      森羅万象を
      訪なうかのように
      手のひらで転がし
      あらゆる事象を
      笑うかのように
      捨て去り
      流れ去る







本流から外れてクリークに迷い込むと、バンコクの人々の生活が垣間見えるのである。
ある一日、ぼくは辻仁成のサヨナライツカの沓子のような女性と二人で小舟を貸し切りにして河を流れた。

その女性は、二の腕を陽に晒し続けている。
健康的に日焼けしているのであった。




夢のような時間であった。
それはまるで白昼夢ででもあったように、ぼくの脳髄を刺激し続けるのであった。








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