エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

俳人逝く

2012年12月12日 | ポエム
朝方、青嶺句会の同人であって健康であられた時には、兼題の選者でもあられた俳人の訃報が飛び込んできた。
ぼくは、顔を合わせた事も無いけれど、東久留米をベースとするほとけ泥鰌句会と兄弟分の句会にあって切磋琢磨していた俳句の先輩である。



人が逝くのは寂しい。
俳人が逝くのはもっと辛い。

おそらく絶唱となったであろう俳句が俳誌「からまつ」に掲載されている。
今年の9月号に5句掲載されている。
5句とも、新茶を詠っている。

埼玉県所沢の在であった。
所沢と言えば、狭山茶の栽培エリアである。

12月号の一句鑑賞に彩人さんのこの新茶の句が取り上げられている。






新茶摘む手のよく動く日和かな
           彩 人





新茶に託した、新たに生れる生への讃歌である。
とても辛い句である。

新茶の写真は今撮れないけれど、ぼくの住む町には寒桜が満開である。
新たな命への憧憬を抱かせる花である。
彩人さんの御霊に捧げる花である。

この方は、ぼくが俳句を始めた頃には既に闘病生活であった。
それだけに辛い。

俳号は「彩人」。
姓が「古林」である。

師走の風が冷たく、思わず襟を合わせた瞬間、追悼の句が頭を過った。


「彩りの人逝きて今師走かな」




柊の花である。
目だ立たない垣に咲いていた。
もう残り花に入るであろう。

彩人さんの人となりは全く存じ上げないけれど、師走の風の中で逝ったのである。
きっと「凛々」とした先輩であったに違いないと勝手に憶測をしたのである。
加えて、寡黙が相応しい謚号であろうかとも思っているところである。

齢を重ねてもなお、自我を張るよりは美しき生き様であったのだろうとも推測する。
ぼくもそうありたい。
齢を重ねたら、寡黙であった方が良い。

主宰のように「博覧強記」でありたいとも思う。
情に篤く、俳句に情熱を捧げ、且つ後進の指導に全能を注ぐ人生は素晴らしい。

ぼくは優れた俳人に出会ったことを深く感謝する。

間もなく「大旦(おおあした)」である。
指を折る。
音楽会・・・プチ旅行・・・新人賞への応募・・・そして俳句へのパトスの復活・・・である。
人を罵るより、自らの未熟を罵ろうと思う。



        荒 野人

再び木守柿

2012年12月12日 | ポエム
木守柿・・・なんという心優しい日本人であろうか。
柿を収穫するのに、木に一つか二つあるいはもっと柿を残しておく。

それを小鳥が啄ばむ。
柿の木を守りつつ、小さな命をも支える。

人の思惟的な行為で、これほど美しい概念は世界中探してもそうは無い。
言葉の響きも美しいではないか。



「赤銅と見紛うばかりの木守柿」

という句を紹介した。
今日は、小鳥が食い散らかした柿を見つけた。

それはそれで、汚いのではなく微笑ましい。
柿の命が報われている。






「木守柿啄ばまれるが運命かな」







柿の小さき命は、愛おしく且つ優しい。
ぼくは日本人が大好きだけれど、時として嫌いになる。
その嫌いになる瞬間は、日本人の持つ固有の性格にまみえた時である。
曰く人を妬み、曰く人を否定する刹那である。



     荒 野人