冬ぼたん・・・寒ぼたんとも云う。
けれど、冬ぼたんが胸に落ちる。
言い易いし、心地良いのである。
冬ぼたんは上野寛永寺の「ぼたん苑」が夙に有名である。
今日の冬ぼたんは、神代植物公園である。
花の大きさと云い、ふくよかな香りといい誠に花の女王である。
とりわけ、この時機は藁囲いの中に鎮座する姿が奥床しくて宜しい。
この寒さ凌ぎの姿こそ、女王の凛然たる姿である。
冬らしさが出ているからであろうか、何故か愛おしくてならないのである。
そっと抱きかかえてあげたくなって、しまう。
「藁の家祈り捧げる冬ぼたん」
ぼたんの大柄な姿は、均整の取れた姿であって健康的である。
こうした女性が、ぼくは好きだ。
心のどこかにひそめた貞節だとか、あるいは母性に恋するのである。
冬ほたんは、そうした男の欲望に火をつける。
もしも、このような女性に出会ったら決して手放してはならないのである。
しっかりと抱きかかえておかなければならない。
二度と出会う事は、出来ないからである。
荒 野人
けれど、冬ぼたんが胸に落ちる。
言い易いし、心地良いのである。
冬ぼたんは上野寛永寺の「ぼたん苑」が夙に有名である。
今日の冬ぼたんは、神代植物公園である。
花の大きさと云い、ふくよかな香りといい誠に花の女王である。
とりわけ、この時機は藁囲いの中に鎮座する姿が奥床しくて宜しい。
この寒さ凌ぎの姿こそ、女王の凛然たる姿である。
冬らしさが出ているからであろうか、何故か愛おしくてならないのである。
そっと抱きかかえてあげたくなって、しまう。
「藁の家祈り捧げる冬ぼたん」
ぼたんの大柄な姿は、均整の取れた姿であって健康的である。
こうした女性が、ぼくは好きだ。
心のどこかにひそめた貞節だとか、あるいは母性に恋するのである。
冬ほたんは、そうした男の欲望に火をつける。
もしも、このような女性に出会ったら決して手放してはならないのである。
しっかりと抱きかかえておかなければならない。
二度と出会う事は、出来ないからである。
荒 野人