エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

紫木蓮を詠む

2016年04月12日 | ポエム
紫木蓮の風合いは、誠に倹(つま)しい。
倹しいけれど、その敬虔な祈りは深い。

ぼくは、このブログで今年も二度にわたって被災地にふれた。
被災された方々に、どこまで寄り添っていけるのかは分からないけれど・・・。
おそらく、ずっとふれていくのだと思う。



何故なら、ぼくの俳句の原風景であるからだ。
その中で、紫木蓮はその原風景を風化させない力を持っている。

倹しく、敬虔であるからだ。







「被災地に向かいて合掌紫木蓮」







紫木蓮の季節は、あの東北大震災とオーバーラップする。
厳しさに耐えて、祈りを捧げるからである。



ぼくも又、被災地を詠み続ける。
日本人の責務である。



被災者も、被災しなかった者もだ。
天災は、時として予期しえない壮絶な力を人に下す。
だがしかし、人災は防げる。



大地讃頌 合唱曲




防がなければならない。
そしてそして、何よりも復旧を急ぐ事だ。

世間は、オリンピックに向かってまっしぐらだ。
確かにスポーツの力は偉大だ。
偉大だし、感動を運んでくる。

だがしかし、オリンピックなどと浮かれてはいられないのだ。
被災から、何年経ったと思っているのだ。



     荒 野人