エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

里桜

2016年04月18日 | ポエム
今週始め、昭和記念公園のチューリップを見に出かけた。
パートナーは、いつもの従兄である。

埒も無い冗談を云い合いながら、シャッターを切る。
チューリップ畑にいる人々は、全員と云って良いのだけれどシャッターを切っている。
カメラでなければ、スマホ。
スマホでなければ、携帯。

それにしても、皆さん高級な一眼レフカメラで写されている。
今日はチューリップでなく、里桜に触れたいのである。



もうソメイヨシノは、終っている。
蕊降る候である。

園内居の小川には、花筏である。
けれど、盛りを迎えているのは「里桜」である。







「街に立つひとりぽっちの里桜」







里桜は、白系の花である。
ただ、やはり時間が経てば淡いピンク色を醸し出す。

里桜は原種に近い花であるのだ。
人々は、その下で浮かれる。
そこに花茣蓙を敷けば、尚更である。



      荒 野人

さて、地震の被害が拡大している。
復興には、20年を要するだろうと云う。
改めて思う。
オリンピックどころでは無いだろう。
返上する勇気。
それを政治に期待したい。
国の面子よりも、国民の幸せである。
そのときだけの為に、国民の血税を使うのか!
それとも、国民の為に使うのか!
その正常な判断は、おそらく国民のほとんどが渇望している。
ここまで準備しているから、とか・・・。
国際公約だから、とか・・・。
それが国民の幸せになるのなら、強弁しても良い。
だがしかし、幸せにならない。
あらためて云う。
オリンピックは返上することだ。
血税は、東北や九州中部地震の復興に使うことだ。

今の日本に、オリンピックは要らない。
と、少し怒っている。

「春愁ひ人の命の儚さよ」

多くの犠牲者が出ている。
行方不明の方も大勢おられる。
人の命は、一瞬なのだ。
その一瞬の命は、尊い。
国民の幸せと、安寧を守る政治であってほしいではないか。
つまらない前例主義の政治。
どうでも良い国際公約に固守する政治。
本当に国民が希求する政治とは、かけ離れている。

お願いだ!
もっともっと国民の幸せを見つめて欲しい。
と・・・。
野人は思っている。