タンポポである。
花の半分ほどが、絮(わた)になってしまっている。
しかし、そのそよぐ姿は自然に任せていて清々しい。
ありのままであるからだ。
さて、白いタンポポを発見した。
タンポポ黄・・・とか俳句に詠むふしがあるけれど、それは違う。
タンポポ白・・・もあるのだ。
面白いね!
でも、この白のタンポポは突然変異である事は論を俟たない。
そもそもはこうである。
この間、秩父の美の山に行ったと書いた。
この山の色彩感覚は、優れて鮮やかである。
タンポポの色も濃い。
勿論、淡い色もあるけれど総じて色が鮮やかである。
それは、しかしながら嬉しい。
「タンポポや絮になっても花は花」
絮になったタンポポと、並び立つ色の鮮やかなタンポポ。
どちらも花だって!
本当にそう思うのである。
風を待つ、子どものように。
荒 野人
花の半分ほどが、絮(わた)になってしまっている。
しかし、そのそよぐ姿は自然に任せていて清々しい。
ありのままであるからだ。
さて、白いタンポポを発見した。
タンポポ黄・・・とか俳句に詠むふしがあるけれど、それは違う。
タンポポ白・・・もあるのだ。
面白いね!
でも、この白のタンポポは突然変異である事は論を俟たない。
そもそもはこうである。
この間、秩父の美の山に行ったと書いた。
この山の色彩感覚は、優れて鮮やかである。
タンポポの色も濃い。
勿論、淡い色もあるけれど総じて色が鮮やかである。
それは、しかしながら嬉しい。
「タンポポや絮になっても花は花」
絮になったタンポポと、並び立つ色の鮮やかなタンポポ。
どちらも花だって!
本当にそう思うのである。
風を待つ、子どものように。
荒 野人