関東の平野部では、山吹が満開である。
その色合いは、目に優しく暖かい。
山吹には一重と八重とがあるけれど、どちらも美しい。
一枝一枝に、黄色い愛情が連なっている。

一重の花である。

八重の花である。
何とも言いようのない、黄金色である。
小判色と云っても良い。
悪徳商人の、象徴的な色合いである。
「がっはっはっ!越後屋おぬしも悪よな!」と言い放つ駿河屋。
その膝元には、小判の切りもちが二つ・・・なんてね。

「山吹や八重も一重も黄金色」

どの花も、我が家の近くのグリーンベルトにある。
散歩しながら、愛でるのは幸せである。
その幸せが長く続くと嬉しい。
けれど、なんとなく自分の寿命が計り知れる。

孫たちの声や、所作がふっと脳裏に浮かんでくる。
父や母、祖母、そして今は亡き肉親が夢枕に立って目覚めるときがある。
「迎えに来たのよ!」なのか「まだまだ先だからね!」と云いにきたのか。
それは判然としない。

この花は「山吹草」である。
昨日この花を見た。
山吹は花弁が五枚だけれど、山吹草は花弁が四枚である。
この背の低い山吹草が、ぼくを迎えにくる花なのかもしれない。
母を迎えに来たのは、コスモスだった・・・!
ぼくの人生は、フリージアから始まった。

フリージアも山吹も、どちらの花も黄色が定番である。
優しい色なのである。
そうだ、ぼくも優しくあらなければと思うのだ。
だが切れ易い60代。
血液が逆流するような感覚が、時々ある。
少し怖い・・・。
荒 野人
その色合いは、目に優しく暖かい。
山吹には一重と八重とがあるけれど、どちらも美しい。
一枝一枝に、黄色い愛情が連なっている。

一重の花である。

八重の花である。
何とも言いようのない、黄金色である。
小判色と云っても良い。
悪徳商人の、象徴的な色合いである。
「がっはっはっ!越後屋おぬしも悪よな!」と言い放つ駿河屋。
その膝元には、小判の切りもちが二つ・・・なんてね。

「山吹や八重も一重も黄金色」

どの花も、我が家の近くのグリーンベルトにある。
散歩しながら、愛でるのは幸せである。
その幸せが長く続くと嬉しい。
けれど、なんとなく自分の寿命が計り知れる。

孫たちの声や、所作がふっと脳裏に浮かんでくる。
父や母、祖母、そして今は亡き肉親が夢枕に立って目覚めるときがある。
「迎えに来たのよ!」なのか「まだまだ先だからね!」と云いにきたのか。
それは判然としない。

この花は「山吹草」である。
昨日この花を見た。
山吹は花弁が五枚だけれど、山吹草は花弁が四枚である。
この背の低い山吹草が、ぼくを迎えにくる花なのかもしれない。
母を迎えに来たのは、コスモスだった・・・!
ぼくの人生は、フリージアから始まった。

フリージアも山吹も、どちらの花も黄色が定番である。
優しい色なのである。
そうだ、ぼくも優しくあらなければと思うのだ。
だが切れ易い60代。
血液が逆流するような感覚が、時々ある。
少し怖い・・・。
荒 野人