伊豆稲取地方には「つるし雛」という風習がある。
今にしてみれば優雅だけれど、この風習が産まれた原点は暖かい親の愛である。
貧しさゆえの庶民の工夫として現在に残されている。
雛のつるし飾り、通称つるし雛は、発祥の地・稲取に昔より様々な風習や言い伝えを伴って残る珍しい和裁工芸細工である。
山形酒田地区では「笠福」伊豆稲取地区では「雛のつるし飾り」というのである。
「吊るし」は縁起が悪いので「つるし」と表記するのである。
なるほど!である。
こうして居並んだつるし雛は壮観である。
この風習は、冒頭に書いたとおりであるけれど、もう一つぼくは生活観というか荒ぶる気風が生んだのではないかと推測している。
この地域は、源氏の棟梁「源 頼朝」が流されていた場所である。
質実剛健の気風、気質が根強く息づいていると思うのである。
「伊豆韮山・蛭ヶ小島」に流されていた頼朝を支えたのは坂東武者である。
その代表が北条氏である。
かの女傑にして頼朝の妻、北条政子の故郷であるのだ。
政子の雛飾りもつるされていたのだろうか?
頼朝は「蛭ヶ小島の介殿」として蟄居していたのである。
そこへ、まるで通い妻のように政子が通っていたのだった。
この山野を駆け巡って、やがて京(みやこ)に上(のぼ)り天下を奪取した武者の故郷である。
女の祭りであっても、何時でも何処でも準備が出来、そして撤収できるのが「つるし雛」である。
こうした徳利で酒を飲んだ武者たちの荒ぶる魂が微かに匂い立っている。
この雛の前で甘酒をたしなんだ、たおやかな女性たちやわが子の成長を夢見た男たちの希望が垣間見えるではないか。
ちなみに、現在のつるし雛の意味はこのようにされている。
桃(長寿)、猿っ子(魔除け)、三角(薬袋香袋)を基本として50種の細工がある。
これらを5列の赤糸に各11個の細工をつるし計55個にそろえ、これを対で製作することにより110の細工がつるされたものが基本型とされるのだそうである。
ぼくも、雛祭りにはあられでも食べ、雛を愛でたいと思うのである。
ふっくらとした頬を撫で、その声を聞いていると、至福の時が訪れるのである。
その時だけ、彼女は政子であり、ぼくは介殿だ。
それは誰かって?
それは・・・秘密である。
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荒野人
今にしてみれば優雅だけれど、この風習が産まれた原点は暖かい親の愛である。
貧しさゆえの庶民の工夫として現在に残されている。
雛のつるし飾り、通称つるし雛は、発祥の地・稲取に昔より様々な風習や言い伝えを伴って残る珍しい和裁工芸細工である。
山形酒田地区では「笠福」伊豆稲取地区では「雛のつるし飾り」というのである。
「吊るし」は縁起が悪いので「つるし」と表記するのである。
なるほど!である。
こうして居並んだつるし雛は壮観である。
この風習は、冒頭に書いたとおりであるけれど、もう一つぼくは生活観というか荒ぶる気風が生んだのではないかと推測している。
この地域は、源氏の棟梁「源 頼朝」が流されていた場所である。
質実剛健の気風、気質が根強く息づいていると思うのである。
「伊豆韮山・蛭ヶ小島」に流されていた頼朝を支えたのは坂東武者である。
その代表が北条氏である。
かの女傑にして頼朝の妻、北条政子の故郷であるのだ。
政子の雛飾りもつるされていたのだろうか?
頼朝は「蛭ヶ小島の介殿」として蟄居していたのである。
そこへ、まるで通い妻のように政子が通っていたのだった。
この山野を駆け巡って、やがて京(みやこ)に上(のぼ)り天下を奪取した武者の故郷である。
女の祭りであっても、何時でも何処でも準備が出来、そして撤収できるのが「つるし雛」である。
こうした徳利で酒を飲んだ武者たちの荒ぶる魂が微かに匂い立っている。
この雛の前で甘酒をたしなんだ、たおやかな女性たちやわが子の成長を夢見た男たちの希望が垣間見えるではないか。
ちなみに、現在のつるし雛の意味はこのようにされている。
桃(長寿)、猿っ子(魔除け)、三角(薬袋香袋)を基本として50種の細工がある。
これらを5列の赤糸に各11個の細工をつるし計55個にそろえ、これを対で製作することにより110の細工がつるされたものが基本型とされるのだそうである。
ぼくも、雛祭りにはあられでも食べ、雛を愛でたいと思うのである。
ふっくらとした頬を撫で、その声を聞いていると、至福の時が訪れるのである。
その時だけ、彼女は政子であり、ぼくは介殿だ。
それは誰かって?
それは・・・秘密である。
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