エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

伊豆稲取のつるし雛

2010年02月17日 | 旅行
伊豆稲取地方には「つるし雛」という風習がある。
今にしてみれば優雅だけれど、この風習が産まれた原点は暖かい親の愛である。
貧しさゆえの庶民の工夫として現在に残されている。



雛のつるし飾り、通称つるし雛は、発祥の地・稲取に昔より様々な風習や言い伝えを伴って残る珍しい和裁工芸細工である。
山形酒田地区では「笠福」伊豆稲取地区では「雛のつるし飾り」というのである。

「吊るし」は縁起が悪いので「つるし」と表記するのである。
なるほど!である。



こうして居並んだつるし雛は壮観である。
この風習は、冒頭に書いたとおりであるけれど、もう一つぼくは生活観というか荒ぶる気風が生んだのではないかと推測している。

この地域は、源氏の棟梁「源 頼朝」が流されていた場所である。
質実剛健の気風、気質が根強く息づいていると思うのである。

「伊豆韮山・蛭ヶ小島」に流されていた頼朝を支えたのは坂東武者である。
その代表が北条氏である。
かの女傑にして頼朝の妻、北条政子の故郷であるのだ。
政子の雛飾りもつるされていたのだろうか?

頼朝は「蛭ヶ小島の介殿」として蟄居していたのである。
そこへ、まるで通い妻のように政子が通っていたのだった。

この山野を駆け巡って、やがて京(みやこ)に上(のぼ)り天下を奪取した武者の故郷である。
女の祭りであっても、何時でも何処でも準備が出来、そして撤収できるのが「つるし雛」である。



こうした徳利で酒を飲んだ武者たちの荒ぶる魂が微かに匂い立っている。



この雛の前で甘酒をたしなんだ、たおやかな女性たちやわが子の成長を夢見た男たちの希望が垣間見えるではないか。

ちなみに、現在のつるし雛の意味はこのようにされている。

桃(長寿)、猿っ子(魔除け)、三角(薬袋香袋)を基本として50種の細工がある。
これらを5列の赤糸に各11個の細工をつるし計55個にそろえ、これを対で製作することにより110の細工がつるされたものが基本型とされるのだそうである。

ぼくも、雛祭りにはあられでも食べ、雛を愛でたいと思うのである。
ふっくらとした頬を撫で、その声を聞いていると、至福の時が訪れるのである。
その時だけ、彼女は政子であり、ぼくは介殿だ。

それは誰かって?
それは・・・秘密である。



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春よ来い、早く来い!

2010年02月16日 | 旅行
河津桜はもうしばらく楽しめそうである。
樹齢50~60年を数える原木は、すでに満開である。

河津へは、伊豆半島の玄関口伊東温泉から今井浜海岸を過ぎ河津駅となる。
河津駅で降りると、徒歩数分、河津川沿いに桜が並木を作っているのである。
原木は丁度桜並木の中間地点の街道沿いにある。



川面に映える桜である。
河津桜は、ただ単に早く咲く!というだけでなく色彩、その形、どれを取っても鑑賞に充分耐えうる美しさと季節感を放っている。



菜の花の黄色と合う花である。
雨の日は「そぞろ歩く」には少しばかり気重(きおも)であるけれど、情感溢れる桜が見られる。

出来れば、暖かい甘酒でもたしなんで桜を見たいのである。
美味しい酒粕だとか、麹で作った甘酒は身体に沁み入るようである。



菜の花は季節を告げる。
早く告げるのである。



目でも、舌でも味わえる春を運んでくれるのである。
河津川沿いの、なだらかなカーブが美しくもある。



桜の下に、水仙が咲いていた。
この河津の先、下田の爪木崎には野生の水仙が群生している。
きっと綺麗に咲いている事だろう。

染井吉野の開花が待ち遠しいのである。





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河津桜が見ごろを迎えている

2010年02月15日 | 旅行
伊豆半島の下田の手前、河津の桜が見ごろを迎えている!というので出かけたのだ。
今日は昼前から篠突く雨になった。

雨の会場には、老若男女が押し寄せていた。



今日の雨は暖かい雨であった。
暖かい雨は、ツバメの黒い羽を濡らしている。
河津川には、ダイサギやシラサギが飛来していて餌を漁(あさ)っている。

河津桜は、河津川沿いにズラッと並木をなしていて、その濃いピンクの花は鮮やかである。
カワヅザクラ(河津桜)は、日本にあるサクラの一種であって、オオシマザクラとカンヒザクラの自然交配種であると推定されているのだ。
従って原木はまだ50~60年の樹齢でしかない。

学名は「Prunus lannesiana Wils. cv. Kawazu-zakura。」である。



川面を背景とした桜はどこでも綺麗である。



雨に濡れそぼった桜は、滴る様な新鮮さで迫ってくる。
水滴が、玉となって落下する。
玉となるほど花弁がなめらかであり、水を弾(はじ)く張りを持っている。



この日、ぼくはキンカンを買い求めた。
樹で完熟したキンカンであり、美味かった。



磨いていない艶が、味覚を刺激するのである。
味蕾(みらい)が喜んでいる。
こうした美味さは久しぶりである。

自然の甘さは、何物にも代えがたいのだ。

そうそう、朝早く出かけたのであるが、駅前は薄明であった。



朝の時間は特別なものがある。
それは、過ぎていく時間が再び巡りくる可能性と、自分の性(さが)との相克を知る刹那である。

現実は、危ういほど時空を飛び去って行くのだ。
サラバ!
と、振り返りつつ。




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台湾の街角にて!

2010年02月15日 | 旅行
台湾については結構書いてきたけれど、バイクの多さに驚くのである。



オートバイの車列は、勇ましい。
戦場を駆けるかのように勇ましいのである。

このように車が多いからであろう、空気はお世辞にも綺麗とは言えない。
だからマスク姿も多いと思われるのである。



また、台湾の人々は占いが大好きである。
大好きというより、むしろ生活全般に渡って占いの締める割合はかなりの割合であると言っても良いのである。

風水が生活に寄り添っていると言っても過言ではない。

子どもの名前は、こうした占いの先生に決めてもらうのである。
日本ではあまり考えられない習慣である。

この占い横町は、地下にあって顧客を待っている。
日本語OKの看板も目立つのである。



たまたまであろうか、日本の高齢の女性二人が占ってもらっていた。
時折、笑い声が漏れているからそれほど深刻な相談でもなかろう。

試しに占い師に聞いてみるのも、一興である。

占い師の後ろに掛けてある軸は、狩野芳崖の「慈母観音像」と同じモチーフで描かれているのである。
してみると、この占い師は慈母のような占いを示してくれるのかもしれない。

もうひとつ。



公園の階段に腰掛けている女性である。
お洒落な赤色のスニーカーを履き赤いソックス、そして黒いマスクを着用している。

エンジ色の上下に、腰には黒いポーチ。
ジョギングの途中でもあろうか。

両手を組んで、ボーッとしていた。
その焦点の合っていない視線が不思議であった。

台湾の街角には様々な人々が自由に振舞っている。
それが楽しいのである。





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沖縄の飯は美味い

2010年02月14日 | グルメ
ある一日、ぼくは「お台場」に出かけたのである。

その日は生憎雨模様であったのだけれど、それも又風流ではあった。
フジテレビの特徴的なシルエットが映えるのであった。



自由の女神は霞んでいた。



お台場を探索しつつ、時刻が夕方になったので夕飯を食べることとなったのであった。
数ある飯屋の中で、沖縄飯を選択したのだ。

沖縄の豚肉は美味いからである。
本土の豚肉も美味くなったけれど、沖縄の肉は当たり外れが無いのである。
ブランドで無くてもおしなべて美味いのだ。



とりわけラフティ(豚の角煮)は美味しい。
いくらでも食べられてしまう。
お腹にもたれない油である。

もちろん、チャンプルは外せない。



ゴーヤチャンプルをチョイスしたのである。
苦味が旨味である。

厚く削った「鰹節」が載せてある。
スパムの角切りと豆腐、それを卵でとじてある。

スパムは好き嫌いがあるけれど、ぼくは比較的食べる。
コンビーフには大きく負ける味だけれど、まあまあ食べられるのである。

ぼくも相方も酒を嗜(たしな)まないけれど「海ブドウ」を注文した。



シークワーサー入りのポン酢でいただく。
口の中で弾ける感覚と、独特のネットリ感が味わい深いのである。

最近は養殖物が出回っている。
その分、値段が下落した。
でも、味は良いのである。

これ以外に、ソーキそばをいただいた。
ソーキそばのお椀の中には、紅ショウガが入っている。
ちなみに、ぼくはこうしてお椀の中や、丼の中に入っている紅ショウガは嫌いである。
食事中に、口の中をリフレッシュさせるために食べる事はあるけれど、基本的に嫌いな食べ物である。

もうひとつお椀の中には、軟骨を柔らかくかつ甘辛く煮込んだ二つの塊が入っている。
八角が使われており、ぼくの相方はこの八角が嫌いなのである。
食べれば、明日お肌ツルツルなのにね!

全部のお菜は「半分ずっこ」にしていただいたのである。
これで満腹!

そうそうデザートで、沖縄かき氷をやはり一ッ個注文した。



上にマンゴーのソースがかかっている。
マンゴー味である。

沖縄の・・・と言うより、台湾スイーツのマンゴーかき氷である。
台湾のかき氷は、上に大きめにカットされたマンゴーの果実が乗っかっている。
ぼくは相方と台湾旅行した時、そのスイーツの店に行ったけれど、生憎気温がかき氷を食べる高さでなかったので、いただくのをあきらめた経験がある。

なんでもそうだが、チャンスはそうそう巡ってこないのである。
とりわけ食べ物は、食べられるときに食べる!
これが鉄則である。




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