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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

バンコク・NOW「水の都は天使の都である・・・1」

2011年01月26日 | 旅行
バンコクは、かつて水の都と言われていたのである。
縦横無尽にクリークが走り、物流は豊かであった。

東南アジアの物流の拠点であり、農産物の宝庫でもあった。
それは、メコン・デルタの賜物であった。

アユタヤに行けば良く理解できるのだけれど、周囲は川である。
ユル・ブリンナーの王様と私の舞台である。

例えばパタヤに行けば、眼前に広がる海に浮かぶ船に山田長政が日本人町を作り、船を浮かべた景色がいまでも広がっているのである。
白い帆をはためかせて、幾艘も船が浮かんでいるのである。



タイはワンダーランドであって、混沌の豊かさが存在しているのである。
バンコク滞在中、ぼくはこの船でチャオプラヤー川を遡っていき、一本の支流に入ったのである。



日本でいうところの「猪牙舟」といった按配である。
本流もそうだけれど、沿岸には至る所に寺院が配置されている。



敬虔な仏教国であると知れるのである。



近代的建築物もある。
やはりカオスであると伺い知ることができるのである。

バンコクに行く機会に恵まれたとしたら、一度はこの舟に乗られる事をお薦めしたいのである。
タイの現在が良く分かるのだ。



乾季である。川面には「ホテイアオイ」がかなりの量流れている。
花は綺麗であるけれど、ここタイでは「青い悪魔」と呼ばれている。

枯れると腐って臭いを発する。
川を汚す。



枝流が合流する辺り、ホテイアオイが寄せ場のように溜まっている。
処理に躍起にならざるを得ないのである。

金魚鉢の中でとどまっていれば良かったのに!
である。



さて、最大の見どころは「ワット・アルン」を水上から眺めるのである。
暁の寺である。

これが夜ともなるとライト・アップされるのである。
船頭さんは、ゆっくりと舟を進めてくれる。

その姿を堪能できるのである。

このワット・アルンを過ぎるといよいよ枝流に入る。
バンコク市民の日常が見えるのである。






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                     荒野人

冬枯れの赤き葉・・・その名残にペーソスを感じたのである

2011年01月25日 | ポエム
この一年間、日本列島と言わずこの惑星が異常気象に苦しめられた。
まるで驕(おご)った人類を窘(たしな)めるかのように。

大雪の被害は人への被害だけではなく、自治体への財政的被害をも引き起こしている。
南米ブラジルのリオ・デ・ジャネイロの水害は有史以来の惨劇であるというのである。

身近に感じる異常気候も数多いのである。
ぼくは、その現象に心がざわめき立ってしかたがない。






        赤き葉の悲しき定めに


      赤き葉の一片に心ざわめく時もある
      泡立つようなきみの素肌に
      触れることも無く
      赤き葉の孤独にきみは
      ざわめかないというのか

      きみの隙間に
      少しだけでも場所をくれないか
      失ってきた時間と時空を
      必ず取り返してあげるから
      赤き葉の色合いがそう言っている

      日差しの和らぐ午後の孤独よ
      傾く地軸のままに
      磁力の移動などはありえないという
      極致にあってきみは磁場を感じ
      磁場を踏み倒していくというのだろうか

      赤き葉の一片は
      いつまでも失わないという
      きみの純情の孤独だというのか
      磁場と地軸の関係が
      きみのすべてであると確信させたまえ








何時までも散らない葉の悲しみが迫ってくるのである。
このハゼの木は、いつもならとうの昔に真っ赤に葉を紅葉させて丸裸になっているのである。



下の植え込みを見ると、どす黒く変色した葉が落ちている。
悲しくなってしまうのである。

そう・・・異常気象は地軸をも揺らしかねないのである。
地軸の一寸したずれで終わるのなら、一過性だけれど、これに太陽の活動でもリンクしてきたら大変である。

マヤの予言はハルマゲドンなどでは無く、次の新しい時代の始まりであると理解できるけれど、人類がこの地球を壊したのだとしたら神の逆鱗に触れてしまうのではないかと恐れるのである。

ぼくは無神論者であるけれど、人の英知の限界と、驕りへの恐れは持っている。
それを神の意思と言うのなら、きっとそうなのだと思うのである。

そうだとしても、赤みの残った葉に心の襞を感じてしまうノーテンキに驚愕するのである。






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                     荒野人

上野東照宮、寛永寺の冬牡丹は雪囲いの中で・・・2

2011年01月25日 | 
昨日に引き続いて、今日は残りの牡丹を紹介したいのである。
雪囲いの上に雪でも積っていると更に風情が増すのだけれど、東京は晴天続きであって乾燥した日々が続いている。
残念である。

だがしかし、花にとってはそこそこ花持ちの良い気候なのかもしれず、水遣りの苦労さえ惜しまなければ理想的であるのだろう。

「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」
シャクヤクのように風情があり、牡丹のように華麗で、百合のように清楚という、女性の美しさを形容することばである。



「紀ノ川」



「白雪」



「白月錦」



「八千代」



「玉簾」



「寒紫」



「花遊」

牡丹の花言葉は「王者の風格」「風格あるふるまい」である。
寛永寺の管理も大変なのだろうけれど。こうして眼福を提供していただけるのは幸せである。



僧侶の誰かが悪戯心(いたづら)で仕掛けたのであろうか・・・。
花簪(はなかんざし)が雪囲いの中に植えられている。
三つの株を、三つの雪囲いが寄り添って守っている。

花簪の花言葉「思いやり」「温順」「永遠の愛」 である。
ぼくの気持で言えば、お互いに素直になれないあなたへの愛情でもある。


   そのあたり ほのとぬくしや 寒ぼたん
                    高浜虚子

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とても素敵である。






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上野東照宮、寛永寺の冬牡丹は雪囲いの中で・・・1

2011年01月24日 | 
上野のお山、東照宮・寛永寺の冬牡丹はいま一番美しく大気に溶け込んでいるのである。



「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花 」である。
雪囲いの中に、こっそりと座っている。
楚々としていながら、その姿は典雅である。

寛永寺は1625(寛永2)年、天海僧正が徳川家の菩提寺として造営したことに始まる。
「寛永時代」に造ったことから「寛永寺」と名付けられたのである。

実に連綿として歴史を刻んでいるのであり、あの幕末の江戸における最後の戦いの場でもあったのである。
記憶に残っているボタンの名前を、花とともに紹介しようと試みるものである。



「玉守」



「雪重」



「ハイヌーン」



「島錦」



「原種 島の司」



「島津紅」



「黄冠」

である。

東照宮には「ぼたん苑」があり公開されているのだけれど、これは昭和55年に日本と中国の平和 と友好を記念して開苑されたものなのである。

ちなみに、このぼたん苑は春牡丹も素敵である。

  一輪の 牡丹かがやく 病間かな
                  正岡子規

後の七種類は改めて紹介する。
今日はここまで!!






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今日の空と雲・・・鮮やかな冬である

2011年01月23日 | 日記
今日の空は、一点の汚れも無いキャンバスとなって自在に雲を遊弋させている。
枯れ枝をもキャンバスに取り込み、筆を走らせるのであった。



三様の雲を見せたいのである。





如何であろうか?
まことに以って、筆致(ひっち)の見事さである。

次は枯れ枝を取り込んだキャンバスである。







これも三様の絵画である。

ヒトの手では描ききれないのであるけれど、自然の力にただ舌を巻くのみである。
この現象こそ神の手であるとしか言えないのだ。

神の手が描く、極楽の天であるのかもしれない。



この空の見事さを「知ってか知らでか・・・!」人々はフリーマケットで品々を売り買いしているのである。



モニュメントの上に拡がる空と雲は、人の思惑など知らず、ただ千変万化しつつ流れ去って行った。






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                     荒野人