エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

金環日食を詠む

2012年05月22日 | ポエム
多くの俳句が詠まれた。
金環日食に関してである。



コンパクト・デジカメでメガネを通して撮影した。
大分ぶれている。

だがしかし、確かに天体ショーとしては一級であった。








  天体が新たな地平魅せる夏  野人


  月が食べ太陽が呑む日食かな  野人







人並みに天体を詠もうと思ったけれど、読めない。
ぼくの力ではここまで、であった。



天体ショーが終わった午後は、美しい雲が漂った。





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  荒 野人

カタバミや

2012年05月22日 | ポエム
カタバミ、道のわきに楚と咲いている花である。







  カタバミや楚と咲きおれば楚と眺む  野人


  カタバミの低きに咲けり視線下ぐ  野人


  名も知らず誰も見つめるカタバミや  野人







名も知らぬままに咲く花もある。
カタバミはその典型的な例であるかもしれない。

「まぁ・・・綺麗!」
「なんていう花?」

そんな会話の中で身も縮こまりそうだけれど・・・。
「まっ!良いか。」
と咲く事にしている。



ぼくはカタバミである。




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  荒 野人

馬鈴薯の花

2012年05月21日 | ポエム
今、東京の畑では馬鈴薯の花が満開である。



一面ジャガイモの花である。







  馬鈴薯の花満開の畑かな  野人


  ジャガイモの花の下なる地下茎や  野人






種類によって、花の色が違う。
その色違いが楽しい。







  花の下その下の蔓馬鈴薯や  野人


  食べられるために花咲くジャガイモや  野人


  咲く姿ジャガイモの花可憐かな  野人


  畑の面咲き誇りたる馬鈴薯の  野人


  ほくほくの蒸しジャガイモや花開く  野人






ジャガイモの花、あるいは馬鈴薯の花。
初夏の季語である。

北海道では、まだまだこれからだろう。





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  荒 野人

フィッシャー・ディースカウ死す!

2012年05月20日 | ポエム
ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ (Dietrich Fischer-Dieskau)の訃報が飛び込んできた。
世界的なバリトン歌手である。
とりわけ、ドイツ・リートでは比類なき歌い手であった。



かれの逝去を悼みたいと思うのである。

独南部ミュンヘン近郊の自宅で逝去したのだという。
2012年5月18日の出来事である。

行年86歳。







  バリトンの冬の旅はや伝説へ  野人





音楽の世界で、絶対音感という概念がある。
絶対音感とは、基準を与えなくても音程がわかる能力の事である。
大体わかるのではなく、研ぎ澄ましてゆけば1ヘルツの違いも聴き分けられる。
声楽の勉強では、教則本のソルフェージュの勉強などは不可欠なのだが、絶対音感があると無いのとでは雲泥の差がある。

Cの音を身体が認知し的確に確認するのは、素晴らしく有利であるともいえるのである。
身体が音叉になっているのである。

音楽家では、その能力はかなりの部分天賦の才かもしれない。
彼は、その絶対音感の無い声楽家であった。
あったけれども、彼の声楽家としての実績はその事で瑕疵が着く事は無い。

世界的な音楽家である証左として、彼が逝去したとの一報が飛び込んできたのが18日。
その日のうちに、直ちにネット上のあらゆる情報で「Dietrich Fischer-Dieskau, 1925年5月28日 - 2012年5月18日」と表記が変えられていた。

地元の歌劇場やウィーン国立歌劇場などが相次いで発表し、追悼の意を示しているのである。

ぼくが声楽を学んでいた時期に、かれは華々しく活躍していたのであった。
彼の、穏やかでいて深みのある声と表現力は「若き音楽家」や「音楽を志す若者」の羨望の的であった。

リートの世界の奥行きやその広さを教えられた。
シューベルトやシューマンの歌曲も違って聴こえたものであった。
また彼は、オペラやオペレッタをあまり歌わなかった。
これだけの歌手なのに、オペレッタの録音はそれほど残されていないのである。

ぼくの音楽的墓標として、彼の逝去に謹んで哀悼の誠を捧げるものである。
嗚呼、ソルフェージュで音階を正確に上がり下がりする能力を鍛え、コールユーブンゲンを歌い、コンコーネで漸く歌を歌う能力を学ぶ。
歌に熱中した日々があった。

その時期への墓標である。

ぼくたちの時代の痕跡が、どんどん失われていく。
寂寥を満腔で感じるこの頃である。






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荒 野人

奥日光は春浅く

2012年05月19日 | ポエム
奥日光は春まだ浅かった。
とりわけ、17日の夜は稲光が轟き、豪雨の中にあった。

夕食後、露天風呂に浸かっていた時空に雷光が走った。
走ったかと思うと、大粒の雨が降りかかって来たのであった。

この夜、ぼくは湯の湖温泉に居たのであった。
気温も急速に下がった。

早々に床に入って就寝したのである。



朝。
昨夜の雪の痕跡である。

深山である。
雪が木々の上部を化粧しているのである。
雷雨とともに、驟雨が来たけれど山では雪だったのである。



この川の流れを、涼しいと見るか、はたまた荒涼と見るか・・・。





  稜線を瞬時に見せる白雨かな  野人




昨夜、風呂上がりに見た自然の恐ろしさである。



湯滝の落ちる水にさしかかる桜は、まだ開ききっていない。
春は、浅いのである。



湯の湖と桜。
山桜が、木によって違うとしても、まだ一分咲きから四分咲きくらいである。



例えば、桂の若葉もまだ赤ちゃんなのであった。
一歩深山に踏み込めば、色合いは春先である。



荒涼たる湯の湖温泉の景色である。
18日の朝、金精峠は雪道となって車を走らせなかったと聞いた。
自然が何かを怒っているのか。
地元の方の話によると、今年は桜の花も少なく、春が例年より遅いのだそうである。

帰宅した日。
関東近在で大きな地震があった。





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      荒 野人