ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ (Dietrich Fischer-Dieskau)の訃報が飛び込んできた。
世界的なバリトン歌手である。
とりわけ、ドイツ・リートでは比類なき歌い手であった。
かれの逝去を悼みたいと思うのである。
独南部ミュンヘン近郊の自宅で逝去したのだという。
2012年5月18日の出来事である。
行年86歳。
バリトンの冬の旅はや伝説へ 野人
音楽の世界で、絶対音感という概念がある。
絶対音感とは、基準を与えなくても音程がわかる能力の事である。
大体わかるのではなく、研ぎ澄ましてゆけば1ヘルツの違いも聴き分けられる。
声楽の勉強では、教則本のソルフェージュの勉強などは不可欠なのだが、絶対音感があると無いのとでは雲泥の差がある。
Cの音を身体が認知し的確に確認するのは、素晴らしく有利であるともいえるのである。
身体が音叉になっているのである。
音楽家では、その能力はかなりの部分天賦の才かもしれない。
彼は、その絶対音感の無い声楽家であった。
あったけれども、彼の声楽家としての実績はその事で瑕疵が着く事は無い。
世界的な音楽家である証左として、彼が逝去したとの一報が飛び込んできたのが18日。
その日のうちに、直ちにネット上のあらゆる情報で「Dietrich Fischer-Dieskau, 1925年5月28日 - 2012年5月18日」と表記が変えられていた。
地元の歌劇場やウィーン国立歌劇場などが相次いで発表し、追悼の意を示しているのである。
ぼくが声楽を学んでいた時期に、かれは華々しく活躍していたのであった。
彼の、穏やかでいて深みのある声と表現力は「若き音楽家」や「音楽を志す若者」の羨望の的であった。
リートの世界の奥行きやその広さを教えられた。
シューベルトやシューマンの歌曲も違って聴こえたものであった。
また彼は、オペラやオペレッタをあまり歌わなかった。
これだけの歌手なのに、オペレッタの録音はそれほど残されていないのである。
ぼくの音楽的墓標として、彼の逝去に謹んで哀悼の誠を捧げるものである。
嗚呼、ソルフェージュで音階を正確に上がり下がりする能力を鍛え、コールユーブンゲンを歌い、コンコーネで漸く歌を歌う能力を学ぶ。
歌に熱中した日々があった。
その時期への墓標である。
ぼくたちの時代の痕跡が、どんどん失われていく。
寂寥を満腔で感じるこの頃である。
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荒 野人