=118 ~木の因数分解~(家具工房つなぎブログ)

南房総でサクラの家具を作っています。ショールーム&カフェに遊びにおいでください。

人間国宝にお会いする(2)

2009年09月26日 | 【インタビュー】木の先人方
本日お話が聞けたのは、人間国宝の大坂弘道さんです。
正倉院宝物などを復元するなどの実績をお持ちです。
非常にオープンなお話をして頂き、ためになっただけでなく大変楽しむことができました。

以下、お話の中での私のメモッたお言葉です。

■「木工が好きでなったわけではない」
職人さんによく聞かれる言葉ですね。大坂さんも兄弟が多く東京に出て自由になりたかった。昔は金工をやっていたけど、どうしても入賞できず木工に転向したなどのエピソードをお聞きしました。

■1/3主義
今まで人生1/3ずつ生きてきた。20代までの勉強の時期、40代後半までの教師生活(その間創作活動は継続)、そして現在に至る木工家としての時期。バランスが大事なのだと思います。

■「正倉院はすごい」
あそこには宝物がいっぱいある。写真で見たり、ガラス越しに見るのと、自分で手にとって実際に見てみるのでは全然違う。

■「微細の美」
正倉院の宝物はこの一言にまとめられる。微細な小さなものに大きな世界のことが凝縮されているという意味のお経もあるという。微細を勉強することは大きな世界の摂理にもつながるということ。

■「工芸品は小さくなくてはいけない」
昔、工芸品はお金持ちの旦那がお客さんに自慢するものだった。そのため小さなものであった。それが今の工芸品は展覧会のためのものになり大きすぎたりする。

■「箱が主役ではいけない」
箱はもともと宝物、貴重なものという主役をしまうための入れ物である。それが最近は箱自体が工芸品になり、展覧会に出品され、箱自体が主役になってしまっていることがある。また何を入れるものか明確でないものもある。これではいけない。

■自分の原動力は「人のやってないものをやろう、人の見てないものを見てやろう」
たいてい人が作れるものは人が作れるものである。自分だけのものを作りたいとか、正倉院の中は一般人が見ることなど許されていない聖域、そこを見てみたいという思いで木工を続けてきた。

■「歳をとると作風を変えないといけない」
名人でも歳をとると目が悪くなり、どうしても細かな作業、文様彫りなどは厳しくなるそうです。頑なに縛られるのではなく、自分の作風を変えていける勇気を持ちたいですね。

■「ゆっくり作って3年」
ひとつの作品にそれくらいの時間をかけることもあるそうです。「だってずっとやっているとい飽きちゃうじゃないですか」こんな気持ちのゆとりが継続するには必要なのでしょう。

■「ものつくり」であり「ものかたり」ではないので悪しからず。
講演の最後に、講演を謙遜して。
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おにろく工房

2009年09月24日 | 【インタビュー】木の先人方
鹿児島から遊びに来てくれたMくんを奈良井宿へご案内すると、奈良井駅前に小さな木工ショップがありました。

なんとなしに足を踏み入れてみて数十秒後、お店のご主人とのお話が始まっていました。

ご主人は、高井修さん。
千葉県のご出身で、20年ほど前に上松技術専門校をご卒業され、独立して工房を開かれたそうです。
現在は平沢にご住居と工房、奈良井宿には5坪のお店を持っておられ、私からすればうらやましい限りですが、ご家族を養いながら現在に至るまでにはスキー場のアルバイトをされたりもしてこられたそうです。

品物はお椀や木のおもちゃ、アクセサリーなどが多く並んでいます。
大きな家具を作るには、当然たくさんの木が必要ですし、小さなもののほうがクラフトフェアなどでも小回りがきくこともあって、自然と今のラインナップになっていったそうです。

材料の確保というのは、私が考える以上に大変なようで、独立するのであれば私もしっかりと考えなければいけません。

工房名の「おにろく工房」の由来についてお尋ねすると、それは「だいくとおにろく」という昔話の絵本につながっているそうです。昔、その絵本を読まれたときにたいそう気に入って、技専時代の自主製作の作品の目立たない場所には「おにろく」と書くか刻んでいたそうで、先生にバレたときには怒られた、なんていうお話をもしてくださいました。

高井さんは、お話をしながらも手はひとつの木片をずっと削っていました。

「その木片で何を作っていらっしゃるのですか?」

とお尋ねすると、

「いや、自分でもわからない。彫っているうちに何かになってくる」

いいですねー、こんな台詞いつか言ってみたいと思います。


高井さん、突然でしたがありがとうございました。


■おにろく工房HP
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綾工芸をご訪問(高原さん)

2009年08月25日 | 【インタビュー】木の先人方
2009年3月3日


川上社長の幼馴染の綾工房 高原さんにお会いすることができました。

廃工場を買い取り、工房にしていてその渋い雰囲気にセンスを感じます。

写真をごらんのとおり余分な装飾のない自作ストーブで暖めた缶コーヒーはとてもおいしかったですよ。


高原さんは家具を作りながら、製材屋として材木を挽く仕事もあわせてやっていらっしゃるそうです。
「ここまで続けてこれたのは、手を広げたから。二つの柱があることが大きい」
というお話を頂きました。

「木工一筋」

もかっこいいですが、続けられてなんぼです。
私も一生継続してやっていけるような算段を考えなければいけませんね。
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住まいにおいて、その生活をどう美しく、どう健康にできるか(南風館)

2009年08月10日 | 【インタビュー】木の先人方
2月28日土曜日

株式会社野元が運営する「南風館」(はやとかん)で塩見さんにお会いできました。



南風館は、地域の住文化、生活文化に貢献することを目的に、地元鹿児島の風土文化に合った豊かな生活空間の提案を試みる場にしたいとの思いから、木と生活文化ミュージアムとして1997(平成9)年にオープンしたそうです。

広い館内には、木工をはじめ陶芸など地元の作家さんの作品が所狭しと並んでいました。

塩見さんが力強くおっしゃっていたことは、

「家具は、人々の住まいにおいて、その生活をどう美しく、どう健康にできるか」

です。

結局、家具は「住まい」の中に置かれるわけですから、「住まい」つまり建築も知っておかなければならないこを教えて頂き、書籍「現代建築に関する16章」五十嵐太郎著(講談社)も頂いてしまいました。

塩見さま、突然のご訪問にご対応頂き、また大切なことをお教え頂きありがとうございました。
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東京都立城南職業能力開発センター(旧品川技術専門校)訪問

2009年08月05日 | 【インタビュー】木の先人方
東京の木工情報を集めるなら

と、城南職業能力開発センター木工課を訪問してきました。


学校は長野と同じく夏休みに入っていましたが、
数名の兄弟弟子?(同時期に技術専門校で木工を学ぶ仲間)が学校に来て作業をしていました。

小林先生にはついつい気になったので、東京のカリキュラムなどをお聞きしてしまいました。

すると、私のいい加減な情報収集と異なり、
東京でも当初はきっちりと手加工の技術として、のみ、かんなを勉強するそうです。
箱や腰掛など、結構難しそうなものも作っていました。

箱は機械作業用のゴーグル入れになるそうで、これは来年以降も学校の備品として使われていくそうです。
ここが「伊那は来年で終わり」ってのと違って、いいところですね。

またカリキュラムの大きく異なる点は、
自由製作はグループでやるところでした。
展示会が1月あたりにあるそうなのですが、それに向けてグループ一丸で基本1点に力を注いでいくそうです。

その他目についたのは、省スペース化のためか、
縦に長い引き出し箪笥式の道具箱はとても機能的で思わず真似したくなりました。


いろいろとお話しを伺ったあげく、ずうずうしく就職状況もお聞きしましたが、
残念ながら東京でも現在一件もないそうです。
(このセンターはハローワークの仕事でなく自己開拓で求人を発掘しているそうです)
厳しいですね。
私も2学期からは訓練同様に就職活動も気合を入れたほうがよさそうです。

小林先生、ご対応ありがとうございました。

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研ぎ師現る!

2009年08月05日 | 【インタビュー】木の先人方
すいません、「現る」なんて書いてしまいましたが私が勝手に押しかけてしまっただけです。

でも、こちらの「とぎ弘」さん、ホントにすごいんですよ。
だって、HPで「東京 刃物」って検索すると一発で出てくるんですから。

HPのつくりや紹介の仕方、理美容業界やネイルニッパーの研ぎに特化し、さらに店舗を持たずインターネットと郵送のビジネスモデルに絞るスタイルなど、たくさんのことを勉強させて頂きたいと訪問させていただきました。

都内の一室でお会いしたとぎ弘さんは、第一印象はとてもスマートな方でしたが、いろいろお話をしているととても様々なご経験をされていることがわかります。
昔はご自身で商売されていたこともあり、そして由緒正しい日本刀の研ぎ師の師匠に弟子入りし、全くの奉公で技術をマスターされたそうです。



研ぎのコツは?

「とにかく毎日研ぐことですね。10時間以上研ぐ」
とてもシンプルです。

そして私にとっては大きな発見だったのが、
「研ぎは基本引き研ぎ」
だそうです。
押すときよりも引くときに研ぐ。
これは目からうろこです。


「徹底的に技をかけろ」
とぎ弘さんの師匠のお言葉だそうですが、かっこいいですね!

今日、新たなビジネスモデルの核となる装置が届いたばかりだというとぎ弘さんは、これからも職人として経営者としていろいろと学ばせて頂きたいと思います。
職人フォーラムならぬ職人のオフ会をやりましょうと約束してお別れしました。

お忙しい中本当にありがとうございました。
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漆耐性あり!(立沢漆器店)

2009年07月12日 | 【インタビュー】木の先人方
漆にかぶれない!

これが私にとってとても大きな喜びでした。


今日は、ゴールデンウィークにお会いした漆職人の立沢さんの工房にお邪魔して、実際の作業を見学させて頂いたのですが、家具の塗料として漆を是非やってみたい私としては、その入り口がまず漆にかぶれないこと。
それがクリアーできたのでした。

奈良井宿にある立沢さんの自宅兼工房に入らせて頂くと、そこはもう漆の世界、作業台はもちろん、壁や電話、いろんなものに漆がついて膜を作っている。
まさしく工房といった雰囲気です。

本日は、本漆というベッタリ黒く塗られている漆の作業についても教えて頂いた以外に、メンパというヒノキでできた曲物のお弁当箱に拭き漆をする作業の一部を見せて頂きました。

<拭き漆の作業工程>

1.木地みがき

2.下地を塗る
  ※いきなりコクソを塗るとはみ出たコクソが取れにくい

3.磨いて平らにする

4.(コクソという「漆+米粉+木屑」でできたものを隙間やへりに埋め込む)
■コクソを練る

■コクソを布でしぼり濾す


■コクソを塗る


5.漆を塗る

6.漆をふき取る
  ※5、6の作業を5回~6回繰り返す


ひたすら塗って拭くを繰り返すのですね。

プロが商品を見るポイントは、漆の厚さと均一性だそうです。
拭き漆といえどある程度の厚さの漆がついていて、その厚さがきちんとあり、しかもそれが均一な厚さになっていることが重要だそうです。
腕のいい職人さんの場合は、上記の5,6塗って拭くという作業を一般の人が6回かかるところを4回でできるそうです。これは1回当たりの漆の暑さを厚く均一にぬれるからです。下手な人は塗っては強く拭き取ることで面を平らにしているのですね。
つまり、上手な職人になれば、時間とウェスに拭き取られる漆の節約にもつながるということです。

また漆の艶については、各工房、職人さんの好みがあり、一概に艶があるからいいというわけではないようです。


以上のように、本日は漆の実作業を勉強させてもらうことが目的でしたが、それ以外にもやはり職人としての銭勘定、商売について学ばせて頂いたことが多かったです。ヒノキのお箸に話が及んだときのポイントです。

・ヒノキの箸の材料は、細く切られたものを買っていては商売にならない。かといって丸太でも割りが合わない。

→細く切られたものは加工賃がのって高くなっているので、ある程度大きな材料を買って自分で切らなければ儲けが少なくなってしまうということ。扱いやすいのは5寸くらいの材料らしいです。

・箸の見積もりをするときは、材料費に鋸の厚みをきちんと入れる

→意外とできていない職人さんがいるそうです。鋸の刃の厚みは何ミリですが、その部分は切った後おが屑になってしまいます。一本二本ならいいですが、何千本という単位の仕事をするのだから、その厚みは大変大きくなる。

・検品は厳しい
ヒノキのお箸ですが、何にも加工していない単にお箸に漆を塗っただけの一番シンプルなお箸でも、木目がよくなかったり逆目になっているものは、はじかれるそうです。求める目的と品質で違ってはきますが、そう簡単に「端材を使って」というわけにはうまくいかないようです。



「今度は、何か作ったら塗りにきな」
と言って頂けました。
立沢さん、お忙しい中ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・



さて、その後はせっかく権兵衛峠を越えてきたので観光です。

■木曽福島の宿
昔、中仙道の関所があった重要な地です。
木曽の名物「馬刺し定食」を食べました。


■御嶽のふもと 王滝村
王滝の湯へ。
村の中心部から案内板に沿って走るもなかなか着かない。「あと何百メートル」とも書いてない。「いったいどれくらい走ったらいいんだ」と思いながら山道を登り、その理由がやっとわかったのは道が未舗装になってからです。
実は王滝の湯は、村からあまりに遠かったのです。
あまりの遠さゆえに、「はじめから行く気をなくさないよう」に、「あと何キロ」は書いてなかったのだなと私は勝手に思いました。
そして道が未舗装になり温泉が近づいてくると、今度はこんな親しみのある看板が表れ始めます。



そして着いた先は山小屋のような素朴な温泉。


でもここでは湯舟につかりながら、御嶽を真ん前に望めるんですよ。

残念ながら私が入ったときは曇っていたのですが、帰り道には晴れてきて、霊峰御嶽山を拝むことが出来ました。




そしてやっぱりここは信州なんですから最後は・・・ということで、蕎麦でしめときました。

■「一竹」有名店みたいです。





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「菓子づくりは、夢づくり」 菓匠Shimizu

2009年06月30日 | 【インタビュー】木の先人方
先週、伊那にあるお菓子屋さん「菓匠Shimizu」の清水慎一さんにお会いしてきました。
「菓匠Shimizu」さんと言えば、さまざまな雑誌でも紹介されている有名店ですが、その商品もさることながら、スタッフの雰囲気、人材育成に注目をおかれているお店です。


南仏風?のお洒落な店舗はガーデニングに囲まれ、店内に所狭しと並んだ色とりどりのスイーツ。そんなイメージとのギャップ戦略かと思う清水さんとのご対面です。(笑)

大学まで野球に打ち込んできた清水さんの夢は、じつは野球部の監督だったそうです。「毎年甲子園目指せるっていいじゃないですか」と楽しそうに話す清水さん。
でも、大学卒業の前に将来のことについて話すために東京まで訪ねてきた母親の帰郷するときの後姿を見て、地元伊那のお菓子屋さんの3代目となることを決めたそうです。

東京のお店での修行を経て、「洋菓子ならフランス」というシンプルな考えで単身渡仏。
1年半余りのフランス生活で思い知ったことは、「自分は日本人だ」ということだった。
パリの空気に染まることもなく、毎日ご飯と味噌汁を食していたそうです。
フランス菓子はフランス人がフランスの食材を使ってフランス人のために作るからおいしいのだと。
日本人の自分が日本でフランスの材料を取り寄せて一生懸命作っても、食べる人は日本人。「なんだかそれってちょっと違うなー」と思ったそうです。

そして、日本に帰国後、尊敬する九州のお菓子屋さんでの修行を経て実家に戻ってきたのが6年前。
九州の師匠と同じく、和菓子屋でもなく洋菓子屋でもない、地元の食材を使ったおいしいもの、強いていえば「伊那菓子」を作り始めました。

清水さんが自分で今までの足跡を振り返ってみると、ここ数年で急激に価値観が変化したそうです。
20代の頃には単純に言うと「野心」が溢れていたそうです。
「日本一のパティシエになってやる」
「カリスマパティシエになってテレビにたくさん出てやる」
そんな思いで、技を磨き、目の前にあるケーキだけを見てきたそうです。

しかし、自身のお子さんの誕生によってその考えはガラリと変わる、というよりもよりもケーキの先が見えてきたそうです。ケーキの先にいるお客様の顔、子供たちの喜ぶ顔が。

「ケーキは手段」

そのための技の研鑽は怠れない。たとえば普通のケーキを作るよりも、子供から注文のあったウルトラマンのケーキを作るほうが難しいのです。それを実現できるための技術を磨くことが本来の目的で、決してコンクールで優勝することが目的ではない。

だから、清水さんの名刺には書いてある。

「菓子づくりは夢づくり」

うちは「菓子屋」でなくて、「夢屋」を目指してますと言う清水さん。


そんな夢屋で働くスタッフは現在27名。
最近は全国各地やお菓子の本場神戸から来ているスタッフもいるらしい。
彼らスタッフの採用方法がまたユニーク!

「うちには採用、不採用はありません。入社するかどうかは自分で決めてもらっています」
というスタイル。
単純に、「そんなことしたら、スタッフが多くなって・・・」と平凡で現実的な心配をしてしまうわけですが、そこは何回も会話をして、「自分の心が楽しい」と思ったら入社を決めてもらうので、今のところはうまくいっているそうです。
「自分の働く場所くらい自分で決めれるような社会にしたい、自分で決めたからこそ苦しいときもがんばれる、またその初心を忘れないようにしてほしい」とスタッフに話していらっしゃいます。

清水さんは、昨年南米エクアドルに行きました。

自分たちのお菓子作りに欠かせないカカオを作る、カカオ農園とそこで働く子供たちをご自分の目で見るためです。その訪問を通して、清水さんは「子供たちの夢づくり」という思いを一層強くされたそうです。


「伊那からのお菓子づくりは、夢づくり」


清水さん、お忙しい中本当にありがとうございました。

また語りましょう!

■菓匠Shimizu 清水慎一【夢と感動を共有する】 信州夢菓志商人日記






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常に「卸し」を考える(立沢漆器店)

2009年05月04日 | 【インタビュー】木の先人方
奈良井宿に出かけると、駐車場から程近いところに製作現場兼倉庫兼販売所で漆製品を扱っていたお店があった。
街道沿いのお店はほとんど販売店なので職人の方とお話はあまりできないなか、このお店はご主人が販売しながらお箸を製作していたので、お邪魔とは思いながら声をかけさせて頂きました。

ご主人のお名前は立沢さん。漆職人です。
現在は摺り漆の商品が中心となっているそうですが、これは一重にお客様のニーズの反映だとおっしゃっていました。つまりあの黒とか赤などの漆器は手間隙がかかるため自然と値段も高額になってしまいお客様は手を出しづらくなってしまい、逆に割安な摺り漆の製品がここ2,30年は多くなってきたそうです。

お客様のニーズとおっしゃった立沢さんは常に「卸し」を考えて仕事をされているそうです。卸しは大勢のお客様のニーズを求め、また多くの商品を効率よく作っていかなければならないのです。
私が技術専門校の学生だと名乗ると、学校を卒業した人達は何人か見てきたけど「作ることに熱心で手間をかけすぎてしまい、商売や飯を食べていくという考えが少しおろそかかなぁ」と教えて頂きました。「モノづくりが好きでスタートすることはとてもいいこと。だけど卒業してその次の段階は商売ということも考えていかなければいけないと思うよ。作る基本を押さえたら、御幣はあるかもしれないけどあとはどれだけはしょり、きれいに見せるか」とおっしゃっていました。
この教えは私も何度か現場の人からお聞きしたことがありましたが、立沢さんはそれをご自身の現場で教えてくれました。
「2階にあがってきてごらん」
2階は立沢さんの仕事現場だったのです。たくさんの道具や資材、木のかけらがあるその部屋の奥には、犬か猫かわかりませんが木で作った台のようなものが山積みされていました。1階に戻ってみると、
「あれは花を置く台だよ。お店では一個2000円くらいで売っている。もちろんもっと手をかければいいものができるだろうけど、あれをどれだけの手間でこさえるかということも重要。同じようなものを他の人も作れるだろうけど、私は限りなく安く作業を少なく作ることができる」とおっしゃいました。
またお箸を製作している自作の小さな鉋も見せて頂きました。「このくらいの道具は自分で作らなければいけない」

見ず知らずの客?に、ご自身の作業現場まで見せて頂き、言葉だけでなく肌で勉強させて頂いた私は感動です。

ちなみに卸先ですが、私はは地元の組合経由などが多いのか思っていたのですが、実は組合はあまり関係がなく、すべてご自身で開拓、維持してこられたそうです。

帰り際、さらにうれしいことに、「今度は実際の漆をやっている現場を見に来てもいいよ」とおっしゃってくれました。漆の技術もさることながら、商売の考えについてもまた是非お話を伺わせて頂きたいと思います。

ありがとうございました。
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古材は古材でもただの古材じゃない

2009年02月24日 | 【インタビュー】木の先人方
2009年2月23日 雨

館山の隣、南房総市と言っても市町村合併前までは三芳村と言われていたところで、私のような人間にとっては三芳村といったほうがしっくりくる。
その三芳村に、家具工房を構えているDEWさんを、地元の情報誌で知ったのがおよそ1ヶ月前。工房のお仕事の関係で、ようやく念願叶い本日訪問することができました。

DEWはショップ兼工房までのエントランスから楽しませてくれます。
そのエントランスとは、ショップ兼お店まで続く本道からの山道、途中からは未舗装になり、ドッタンバッタンの束の間のオフロード体験を経て初めてDEWに到着できるのです。

お店に入ると、まだ生後半年くらいのアル君がワンワンと元気に出迎えてくれました。

アル君をなだめてから、家具を拝見させていただく。
古材を使った家具ということは聞いていたのですが、実物を見てみてビックリ!!
古材は古材でもただの古材じゃないんです。

なんかところどころの形が意味を持った曲がり方をしていたり、変に持ちやすそうだったり。そう、今井さんの家具はすべて農家、民家の昔の道具の古材を利用して作っているのです。だから何かの取っ手だったところだったりしていて、ここは何の道具のどこの部分だったのだろうなんて想像しながら見てみるのも楽しいかも。

とっておきは、機織の縦糸がすれてできた溝が無数にある材が使われたベンチ。
まるで後から彫ったかのように思えるくらい絶妙なデザインとなっている。
また、古道具に使用されていた「鉄」、文字通りの鉄らしい昔の無骨な錆付いた鉄がいい感じで使われている。昔から、特に道具では木と鉄はタッグパートナー。お互いを知らなければいいものにはならないというのが今井さんの持論。勉強になります。

今井さんが道具の古材を使われ手入る理由に、実はとっても道具好きということがあるそうです。
何かの目的のために昔の職人さんが作られた道具というものにとても愛着があるそうで、最初の職人さんが作ったということを大切にし、再度自分の手で作り直すという2度目の創作に日々奮闘されているそうです。
「昔の職人さんは、自分のアイデアを技術を通して具現化させていて、アーティストでもあり、職人でもあった」と今井さんは語り、職人とは作るところに圧倒的にウェイトがおかれている性質のものと認識していた私の浅い「職人論」に新たな考えを吹き込んで頂いた。

今井さんは、自分を職人と位置づけながらも、生来の人の真似はしたくないという気質と古材を相手にするために一点ものの製作となり、かなりアーティスト志向も発揮していらっしゃるということでした。
そんな強い創造性を感じたのが今井さんのこんなお話からでした。今井さんはとことん作りこんで完成したら、その作品は潔く自分から手放し客観的な立場に入れ替わるそうです。精魂込めて作った作品はどうしても自分の子供のような目で見てしまいますが、それを手放し距離を置いて見る。そうやって作品を自分のモノでない視線で見ることができると、「人の真似はしたくない」性格から、自分の作品すら真似はしない、したがって常に創造力を全開にして取り組むことができるそうです。

今井さんが木工を始められて早や四半世紀。職業訓練校から木工所に入り、優秀な先輩に指導を受けながら7年目に独立、当初は友人と始めた和家具の修理を専門にしながら、現在の道具古材の家具というスタイルに辿り着いたということを、琥珀細工職人の京子夫人からお聞きしました。

当初の木工所ではフラッシュを多く製作していましたが、建てられた家、ときには歪んでいる空間に調整させる据付家具の技術は今でもとても役に立っていると言われた。そして無垢の材に限らず木取りは重要であり、それができて初めて一人前だとも教えて頂きました。

話は昨今の古材ブーム、そして古材の高騰にも話は及び、その中から「モノの価値は本来自分で決めるもの」ということを改めて教えて頂きました。
自分が価値があると思ったなら、それに高い対価を払うことはいい、しかし市況が高いから高くするという自分の価値感の伴っていない設定は本質という違うと私も共感しました。
チップの文化のない私達ですが、もしもウェイターのおかげで彼女とまたは家族ととてもいい時間を過ごすことができたのであれば、そのときは決められた額のチップでなく、自分の幸せに応じたチップを気持ちよく払えるようなそんな尺度を持てたら素敵ですね。

それ以外にも今井さんからは、いろいろとても有意義なことを教えて頂きました。

例えば行き詰ったときは、①基本に立ち返ること そのためにも訓練校の基本の勉強は重要である。そしてさらに行き詰ってどうしようもなくなったときは、②そうじをする といいそうです。掃除をすると頭の中も同じようにすっきりして物事が見えるようになるとのこと。

あとは、あまりいい家具は見すぎないこと。どうしても頭に意識的に浮かんで真似になってしまうのを恐れるためです。だから今井さん夫婦は絵画や陶芸など幅広い芸術を見て感性を高めていらっしゃるそうです。

あまりに素晴らしいDEWの家具、私も見すぎないほうがいいのでしょうか?


◆追伸
<紹介頂いた初心者の知っておくべきもの>
・BAUHOUSE
・イサムノグチ庭園
那須のじざい工房(今井さんのお知り合い)

◆写真は、今井さんが木工所時代に使用していた可動式一式道具箱
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