![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/04/9d68e36a2f12d8b0621f71c426923cd5.jpg)
先週、伊那にあるお菓子屋さん「菓匠Shimizu」の清水慎一さんにお会いしてきました。
「菓匠Shimizu」さんと言えば、さまざまな雑誌でも紹介されている有名店ですが、その商品もさることながら、スタッフの雰囲気、人材育成に注目をおかれているお店です。
南仏風?のお洒落な店舗はガーデニングに囲まれ、店内に所狭しと並んだ色とりどりのスイーツ。そんなイメージとのギャップ戦略かと思う清水さんとのご対面です。(笑)
大学まで野球に打ち込んできた清水さんの夢は、じつは野球部の監督だったそうです。「毎年甲子園目指せるっていいじゃないですか」と楽しそうに話す清水さん。
でも、大学卒業の前に将来のことについて話すために東京まで訪ねてきた母親の帰郷するときの後姿を見て、地元伊那のお菓子屋さんの3代目となることを決めたそうです。
東京のお店での修行を経て、「洋菓子ならフランス」というシンプルな考えで単身渡仏。
1年半余りのフランス生活で思い知ったことは、「自分は日本人だ」ということだった。
パリの空気に染まることもなく、毎日ご飯と味噌汁を食していたそうです。
フランス菓子はフランス人がフランスの食材を使ってフランス人のために作るからおいしいのだと。
日本人の自分が日本でフランスの材料を取り寄せて一生懸命作っても、食べる人は日本人。「なんだかそれってちょっと違うなー」と思ったそうです。
そして、日本に帰国後、尊敬する九州のお菓子屋さんでの修行を経て実家に戻ってきたのが6年前。
九州の師匠と同じく、和菓子屋でもなく洋菓子屋でもない、地元の食材を使ったおいしいもの、強いていえば「伊那菓子」を作り始めました。
清水さんが自分で今までの足跡を振り返ってみると、ここ数年で急激に価値観が変化したそうです。
20代の頃には単純に言うと「野心」が溢れていたそうです。
「日本一のパティシエになってやる」
「カリスマパティシエになってテレビにたくさん出てやる」
そんな思いで、技を磨き、目の前にあるケーキだけを見てきたそうです。
しかし、自身のお子さんの誕生によってその考えはガラリと変わる、というよりもよりもケーキの先が見えてきたそうです。ケーキの先にいるお客様の顔、子供たちの喜ぶ顔が。
「ケーキは手段」
そのための技の研鑽は怠れない。たとえば普通のケーキを作るよりも、子供から注文のあったウルトラマンのケーキを作るほうが難しいのです。それを実現できるための技術を磨くことが本来の目的で、決してコンクールで優勝することが目的ではない。
だから、清水さんの名刺には書いてある。
「菓子づくりは夢づくり」
うちは「菓子屋」でなくて、「夢屋」を目指してますと言う清水さん。
そんな夢屋で働くスタッフは現在27名。
最近は全国各地やお菓子の本場神戸から来ているスタッフもいるらしい。
彼らスタッフの採用方法がまたユニーク!
「うちには採用、不採用はありません。入社するかどうかは自分で決めてもらっています」
というスタイル。
単純に、「そんなことしたら、スタッフが多くなって・・・」と平凡で現実的な心配をしてしまうわけですが、そこは何回も会話をして、「自分の心が楽しい」と思ったら入社を決めてもらうので、今のところはうまくいっているそうです。
「自分の働く場所くらい自分で決めれるような社会にしたい、自分で決めたからこそ苦しいときもがんばれる、またその初心を忘れないようにしてほしい」とスタッフに話していらっしゃいます。
清水さんは、昨年南米エクアドルに行きました。
自分たちのお菓子作りに欠かせないカカオを作る、カカオ農園とそこで働く子供たちをご自分の目で見るためです。その訪問を通して、清水さんは「子供たちの夢づくり」という思いを一層強くされたそうです。
「伊那からのお菓子づくりは、夢づくり」
清水さん、お忙しい中本当にありがとうございました。
また語りましょう!
■菓匠Shimizu 清水慎一【夢と感動を共有する】 信州夢菓志商人日記
「菓匠Shimizu」さんと言えば、さまざまな雑誌でも紹介されている有名店ですが、その商品もさることながら、スタッフの雰囲気、人材育成に注目をおかれているお店です。
南仏風?のお洒落な店舗はガーデニングに囲まれ、店内に所狭しと並んだ色とりどりのスイーツ。そんなイメージとのギャップ戦略かと思う清水さんとのご対面です。(笑)
大学まで野球に打ち込んできた清水さんの夢は、じつは野球部の監督だったそうです。「毎年甲子園目指せるっていいじゃないですか」と楽しそうに話す清水さん。
でも、大学卒業の前に将来のことについて話すために東京まで訪ねてきた母親の帰郷するときの後姿を見て、地元伊那のお菓子屋さんの3代目となることを決めたそうです。
東京のお店での修行を経て、「洋菓子ならフランス」というシンプルな考えで単身渡仏。
1年半余りのフランス生活で思い知ったことは、「自分は日本人だ」ということだった。
パリの空気に染まることもなく、毎日ご飯と味噌汁を食していたそうです。
フランス菓子はフランス人がフランスの食材を使ってフランス人のために作るからおいしいのだと。
日本人の自分が日本でフランスの材料を取り寄せて一生懸命作っても、食べる人は日本人。「なんだかそれってちょっと違うなー」と思ったそうです。
そして、日本に帰国後、尊敬する九州のお菓子屋さんでの修行を経て実家に戻ってきたのが6年前。
九州の師匠と同じく、和菓子屋でもなく洋菓子屋でもない、地元の食材を使ったおいしいもの、強いていえば「伊那菓子」を作り始めました。
清水さんが自分で今までの足跡を振り返ってみると、ここ数年で急激に価値観が変化したそうです。
20代の頃には単純に言うと「野心」が溢れていたそうです。
「日本一のパティシエになってやる」
「カリスマパティシエになってテレビにたくさん出てやる」
そんな思いで、技を磨き、目の前にあるケーキだけを見てきたそうです。
しかし、自身のお子さんの誕生によってその考えはガラリと変わる、というよりもよりもケーキの先が見えてきたそうです。ケーキの先にいるお客様の顔、子供たちの喜ぶ顔が。
「ケーキは手段」
そのための技の研鑽は怠れない。たとえば普通のケーキを作るよりも、子供から注文のあったウルトラマンのケーキを作るほうが難しいのです。それを実現できるための技術を磨くことが本来の目的で、決してコンクールで優勝することが目的ではない。
だから、清水さんの名刺には書いてある。
「菓子づくりは夢づくり」
うちは「菓子屋」でなくて、「夢屋」を目指してますと言う清水さん。
そんな夢屋で働くスタッフは現在27名。
最近は全国各地やお菓子の本場神戸から来ているスタッフもいるらしい。
彼らスタッフの採用方法がまたユニーク!
「うちには採用、不採用はありません。入社するかどうかは自分で決めてもらっています」
というスタイル。
単純に、「そんなことしたら、スタッフが多くなって・・・」と平凡で現実的な心配をしてしまうわけですが、そこは何回も会話をして、「自分の心が楽しい」と思ったら入社を決めてもらうので、今のところはうまくいっているそうです。
「自分の働く場所くらい自分で決めれるような社会にしたい、自分で決めたからこそ苦しいときもがんばれる、またその初心を忘れないようにしてほしい」とスタッフに話していらっしゃいます。
清水さんは、昨年南米エクアドルに行きました。
自分たちのお菓子作りに欠かせないカカオを作る、カカオ農園とそこで働く子供たちをご自分の目で見るためです。その訪問を通して、清水さんは「子供たちの夢づくり」という思いを一層強くされたそうです。
「伊那からのお菓子づくりは、夢づくり」
清水さん、お忙しい中本当にありがとうございました。
また語りましょう!
■菓匠Shimizu 清水慎一【夢と感動を共有する】 信州夢菓志商人日記