自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆武士の家計簿

2010年12月13日 | ⇒ランダム書評
 金沢市片町2丁目にかつて老舗の喫茶店があった。朝7時半から営業していて、広い店内には早くから客が入っていた。客の中にはいくつグループがあって、目つきが鋭い人たちがいた。金沢市内の不動産の情報を交わす人たち、あるいは骨董や古美術の会話をするグループもいた。それぞれのプロたちによる朝のミーティングだったのだろう。20年以上も前、「バブル経済」の時代の話だ。その喫茶店の名前は「ぼたん」。2006年の冬だったろうか、創業60年の暦を刻んで店じまいしてしまった。今、その店が営業を続けていれば、おそらく全国から客が訪れていた違いない。幕末、加賀藩の「そろばん侍」といわれた下級武士の暮らしを描いた映画『武士の家計簿』の主人公、猪山直之・成之家が実際にあった場所である。

 原作は磯田道史著『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書)である。2003年に出版された当時読んだ。それこそ今の言葉で表現すれば、政権交代、経済破綻、地価下落、リストラ、教育問題など現代の日本が直面している問題を、140年ほど前に大政奉還後の武士たちや商人が経験していた。江戸時代から明治へと近代日本の姿が一つの家族を通して見えてくる。そんな著書だ。

 ある意味で、そろばん侍の出世物語でもある。参勤交代で加賀藩の2000人もの武士たちが金沢と江戸を往復した。加賀藩の御算用者はその宿泊費、交通費などのロジスティック、軍事用語で「兵站(へいたん)」の会計を担当した。猪山直之の息子・成之はこのロジの緻密な計算力が買われて、海軍主計という職にありついた。薩摩、長州の官軍の武士たちは勇猛で、時代の功績者ではあるものの、それだけでは国家規模の軍隊は動かせない。近代の軍隊へと脱皮するためには、西洋式兵法と並んで、組織を経理面でも動かす実務経験者が必要だったのである。これは時代のニーズだった。

 著書の中で、新しい時代に適応した猪山家とは対照的に、時代に逆らった不平士族たちがいた。金沢で三光寺派と呼ばれたグループで、リーダー格は元加賀藩士の島田一郎だった。明治11年(1878年)5月、大久保利通を東京・紀尾井坂で暗殺した。島田らは自首し、同年7月に斬首刑に処される。その島田の遺骸を引き取りに赴いたのは成之だった。著書の中で、私が一番注目したのはこの下りだった。明治維新の元勲を殺害した逆賊の遺骸を引き取りにいくだけでも、帝国の軍人としてリスクは伴ったことは想像に難くない。が、誹(そし)りを受けるのを覚悟で、本懐を遂げた島田の最期を、同郷の侍の一人としてと弔った。人生の損得のそろばん勘定を超えた、人間的な眼差しを評価するのである。

⇒13日(月)朝・金沢の天気  くもり
コメント (1)
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