明治維新の立役者、坂本龍馬が姉の岡上乙女に宛てた文久3年(1863)6月29日付の手紙で「日本を今一度洗濯いたし申すことにすべきこと神願」と書いた。同月に起きた長州藩と、イギリス、フランス、オランダ、アメリカの列強四国との間の武力衝突(下関攘夷戦争)について、幕府は列強の船を江戸で修復させ、再び下関に送り出していることを知り、「幕府側の腹黒い売国奸物官僚」の仕業と憤った。他国の武力を使って長州を成敗させるほどに幕府は腐敗していると感じ、「日本を洗濯」と述べたものだ。今回の東日本大震災を通して、日本の政治や経済のあり様がさまざまな矛盾というカタチで噴出し始めている。それをいくつか取り上げてみたい。この際、日本を洗濯しよう。
外国人の帰国ラッシュから透ける「人を安使いする社会」
震災後から始まった外国人の帰国ラッシュ。身近でも、能登半島の観光施設で働いていたアメリカ人女性が最近タイに移った。両親から勧められたらしい。「日本にいては危ない」と。悲惨な津波の様子や原発事故は世界中のテレビで繰り返し流れている。それを視聴すれば、普通の親だった日本にいる娘や息子の身を案じるだろう。まして、政府が帰国を勧めれば、在日外国人の日本脱出は当然の成り行きだ。ただ、そこから浮き上がってくる問題がある。
たとえば、日本全国の繊維産業で中国から「研修生」と称する数万人規模の労働者がいる。3年の間研修と実習を行うが、研修というより現場になくてはならない労働力となっている。この労働者の大半が帰国し、ニットを中心とする縫製業の中小企業が操業がままならない状態に陥っているという。繊維産業以外でも、飲食店やコンビニなどがある。たとえば、牛丼の吉野家は14日の決算発表の会見で、首都圏で働く外国人アルバイトの4分の1に相当する約200人が退職したと明らかにした。これ以外にも、自動車部品業界でも多くの中国人ほか外国動労者が帰国したと報じられている。
日本企業が安価な外国の労働力に頼り切っていた中で今回のようなことが起きた。もちろん、その背景には日本の若者が中小零細企業に見向きもしなくなっていたという状況もあるだろう。一方で高校、大学の就職は「超氷河期」と呼ばれている現実がある。細かな理由はどうあれ大きな矛盾、ひずみが生じている。
日本を脱出している外国人の多くは正社員ではなく、アルバイトである。能登半島で働いていた女性もパートだった。報道では、コンビニのローソンでは、中国に帰国した正社員は1人もいなかったものの、アルバイトに関しては急きょ、人材派遣会社を通じて日本人のアルバイトを補填したという。ここから見えてくるのは、日本企業は研修生やアルバイト、パートとった労働力を安易に使っているから、外国人も不安定な研修生やアルバイトには見切るをつける。つまり、外国人が逃げたのではなく、見切りをつけられたのだ。これは外国人だけに限らない。日本の派遣労働にも通じる。労働形態の多様性はあるべきだと考えるが、雇う側に「人を便利に安く使う」という発想に慣れきっていることが根底にあるのではないか。
おそらく、外国人が去るとき、日本人経営者は「君たちがいなければわが社は困る」と正面切って慰留できなかっただろう。研修生やアルバイトにそう言えるはずもない。今回を一時的な現象とせずに、日本再生のために雇用そのもののあり方を再考する機会にすべきだと考える。
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