自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆あれから4年,街は

2015年03月08日 | ⇒トピック往来
  前回のコラムの続き。畠山重篤さんの事務所を辞して、気仙沼市の海の玄関口「内湾地区」を訪れた。震災後の2011年5月11日に被災地を訪問しており、3年9ヵ月ぶりだった。地元の方々からこの表現はお叱りを受けるかもしれないが、街の様子を眺めて「がっかりした」が第一印象だった。何しろ、震災から2ヵ月後の街並みの記憶とそう違わない。今でも街のあちこちでガレキの処理が行われているのである=写真・上=。もう街並みは復興しているものだとばかり思っていたので、その視覚のギャップが大きかった。

  2011年5月の気仙沼訪問で目に焼き付いていた、津波で陸に打ち上げられた大型巻き網漁船「第十八共徳丸」(330トン)=写真・下、2011年5月撮影=を見ようと現場に行った。が、すでに解体されていた。その後のニュースでは、気仙沼市は「震災遺構」として共徳丸の保存を目指していた。ところが、所有する水産会社が市側に解体の意向を市に伝えていたようだ。最終的に2013年7月に市側が市内の全世帯6万5千人(16歳以上)を対象に、漁船を震災遺構として残すことへの賛否を尋ねるアンケートを実施したところ、回答数1万4千のうちおよそ68%が「保存の必要はない」で、「保存が望ましい」16%を上回った(以上、気仙沼市ホームページより平成25年8月5日の記者会見資料より)。被災住民とすれば、日常の光景の中でいつまでも被災の面影を見たくはなかったのだろう。こうした住民の意向を受けて、市側は漁業会社の解体に同意し、共徳丸は同年10月に解体撤去された。

  それにしても、なぜ復興工事が進んでいないのだろうか。同じ市役所のホームページに、「気仙沼市震災復興推進会議について(開催概要)」とするPDFが上がっている。住民と行政側が復興の現状について意見を交わした議事録だ。この中で気になったいくつのケースを拾ってみる。たとえば、市役所の職員確保の状況について説明を求めた質問では、「全国の自治体に即戦力となる自治体職員の派遣を依頼する一方で、本市で雇用する職員募集をかけている。任期付職員については、専門性を必要とする土木・建築職員に関して地元の応募が得られず、今年から首都圏でも募集をかける予定である。」(2014年7月の第10回会議)との回答だ。全国から行政職員の応援をお願いしているが、それでも土木・建築系の職員が地元では集まらないという現実があるようだ。行政のマンパワーだけでなく、被災地は建設工事ラッシュなので、漁港施設、海岸、道路、河川、土地区画整理、宅地造成、下水道等の工事が同時進行している。しかも、国や県、各自治体が一斉に工事を発注するので、建設会社の落札に至らないというケースがあるようだ。したがって、工事ができず、さらに工期が伸びるとうい悪循環が起きていることが察せられる。

  しかも、全国総合開発をほうふつさせるアベノミクスの「国土強靭化計画」で全国で工事ラッシュだ。そうなると、優先されるべき被災地でも現場の作業員が不足するだろう。資材(採石、生コン、コンパネなど)や建設機械(ダンプトラックなど)の不足もあるだろう。工事に着手したとしても、工事が進まない、そんな気仙沼市の市街地を眺めながら、進まぬ復興の現実を考えさせられた。

⇒8日(日)午後・金沢の天気   はれ
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