これまでブログで、アメリカのオバマ大統領による被爆地・広島訪問について触れてきた。それはオバマ氏が2009年4月にチェコ・プラハのフラッチャニ広場で行った核兵器の軍縮に関する演説を、ぜひ実行してほしいと願うからだ。プラハでの演説で感銘を受けた下りはこのフレーズだった。
Just as we stood for freedom in the 20th century, we must stand together for the right of people everywhere to live free from fear in the 21st century.And as nuclear power -- as a nuclear power, as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States has a moral responsibility to act. We cannot succeed in this endeavor alone, but we can lead it, we can start it.
So today, I state clearly and with conviction America's commitment to seek the peace and security of a world without nuclear weapons.
(20世紀に自由のために立ち上がったように、21世紀にすべての人が恐怖から自由に生きられる権利のために一緒に立たなければいけません。核保有国として、核兵器を使用したことがあるただ一つの核保有国として、アメリカ合衆国は行動する道義的な責任を持っている。私たちは一カ国ではこの努力を成功させることはできないが、リードすることはでき、始めることはできる。 今日、私は信念として、アメリカが核兵器のない平和で安全な世界を追求すると約束する。)
この演説の中で、「moral responsibility」という言葉が重いと感じている。「道義的な責任」との訳だ。核兵器を使用した国としての、二度と使わないために人類は何をすればよいか、それは明確だ。しかし、現実には核兵器廃絶の道は遠い。核弾頭は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国のほか、インド、パキスタン、北朝鮮が保有を表明している。イスラエルは公式な保有宣言はしていないものの、核保有国とみなされている。一番多いロシアが7500発分とされる(時事通信社ホームページ)。
さらに、アメリカはいまだに核兵器禁止に向けての法的措置については消極的であり、現在ジュネーブで行われている国連作業部会にも出席していない。さらに、核軍縮に逆行するような「核兵器近代化計画」を膨大な予算を使って継続中である(長崎大学核兵器廃絶研究センターのホームページ)。そこで、懸念されるのが、被爆地訪問だけに終わって、核廃絶の動きに向かうパワーにはなりえないのではないかということだ。
逆転の発想で、現職のアメリカ大統領によるヒロシマ訪問は未来可能性を秘めているとも言える。第一に、現職のアメリカの統領が被爆地を訪れることにより、ほかの核保有国のリーダーにとって、被爆地訪問の敷居が低くなる。伊勢志摩サミットに出席するイギリス、フランスの首相、大統領をぜひ誘ってヒロシマを訪問していほしい。第二に、ぜひ「ヒロシマ演説」だ。演説という形態になるかは別として、その内容によっては、膠着状態に陥っている核廃絶への動きに突破口が開かれるかもしれない。核兵器のない世界へ、実現可能性の未来が拓かれることを願っている。
⇒17日(火)朝・金沢の天気 くもり
Just as we stood for freedom in the 20th century, we must stand together for the right of people everywhere to live free from fear in the 21st century.And as nuclear power -- as a nuclear power, as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States has a moral responsibility to act. We cannot succeed in this endeavor alone, but we can lead it, we can start it.
So today, I state clearly and with conviction America's commitment to seek the peace and security of a world without nuclear weapons.
(20世紀に自由のために立ち上がったように、21世紀にすべての人が恐怖から自由に生きられる権利のために一緒に立たなければいけません。核保有国として、核兵器を使用したことがあるただ一つの核保有国として、アメリカ合衆国は行動する道義的な責任を持っている。私たちは一カ国ではこの努力を成功させることはできないが、リードすることはでき、始めることはできる。 今日、私は信念として、アメリカが核兵器のない平和で安全な世界を追求すると約束する。)
この演説の中で、「moral responsibility」という言葉が重いと感じている。「道義的な責任」との訳だ。核兵器を使用した国としての、二度と使わないために人類は何をすればよいか、それは明確だ。しかし、現実には核兵器廃絶の道は遠い。核弾頭は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国のほか、インド、パキスタン、北朝鮮が保有を表明している。イスラエルは公式な保有宣言はしていないものの、核保有国とみなされている。一番多いロシアが7500発分とされる(時事通信社ホームページ)。
さらに、アメリカはいまだに核兵器禁止に向けての法的措置については消極的であり、現在ジュネーブで行われている国連作業部会にも出席していない。さらに、核軍縮に逆行するような「核兵器近代化計画」を膨大な予算を使って継続中である(長崎大学核兵器廃絶研究センターのホームページ)。そこで、懸念されるのが、被爆地訪問だけに終わって、核廃絶の動きに向かうパワーにはなりえないのではないかということだ。
逆転の発想で、現職のアメリカ大統領によるヒロシマ訪問は未来可能性を秘めているとも言える。第一に、現職のアメリカの統領が被爆地を訪れることにより、ほかの核保有国のリーダーにとって、被爆地訪問の敷居が低くなる。伊勢志摩サミットに出席するイギリス、フランスの首相、大統領をぜひ誘ってヒロシマを訪問していほしい。第二に、ぜひ「ヒロシマ演説」だ。演説という形態になるかは別として、その内容によっては、膠着状態に陥っている核廃絶への動きに突破口が開かれるかもしれない。核兵器のない世界へ、実現可能性の未来が拓かれることを願っている。
⇒17日(火)朝・金沢の天気 くもり