自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆社会的な罪と法律的な罪

2018年05月18日 | ⇒ニュース走査

         森友学園への国有地売却に関する決裁文書の改ざん問題で国会の証人喚問をテレビ中継で視聴できたのは、循環器系のカテーテル検査で入院していたおかげだった。3月27日午前中、点滴を受けながら前国税庁長官の佐川宣寿氏に対する参院予算委員会での証人喚問をじっくりと。

    証人喚問の様子はテレビを見ながらメモを取っていた。自民の丸川珠代氏が、森友学園との国有地取引に安倍総理や夫人の影響があったかを尋ねた。その中で、丸川氏は国有地取引に関する決裁文書では書き換え前に「特例的」とか「特殊性」といった表現が記載されていたことについて「総理夫人の関与を意味しているか」と質問した。佐川氏は「通常は国有財産は売却するが、貸し付ける場合の期間は通達に3年間と書いており、その期間は特例承認をもらって変えることができる。特例とはそういう意味だ」と述べ、「本件の特殊性」という記述は政治家の関与を意味しているものではないとした。点滴が一滴一滴落ちる様子を見ていると、なぜか心が落ち着き、物事に集中できる。「特殊性とはこういう意味か。でも、後付けの逃げ口上ではないか」(当時のメモ)

     その後、佐川氏の発言で気になったのが、「告発されている身なので答弁は控える」「刑事訴追のおそれがあるので答弁は控えたい」と繰り返し答弁を拒んだことだった。佐川氏は補佐人の弁護士にたびたび助言を求め、「刑事訴追の恐れ」を繰り返し証言を拒否する場面が印象に残った。市民団体が昨年10月、虚偽公文書作成容疑での告発状を出している。国家公務員の場合、刑事訴追が現実になれば、退職金がゼロになることもあるので、「必死に予防線を張っているのだろうか」(当時のメモ)と。

    この日の証人喚問では、森友学園への国有地売却に関する決裁文書の改ざん問題が「忖度」する役人のシンボリックな行為との印象は個人的には消えなかった。ところで、肝心の「刑事訴追」の件はどうなっているのか。きょう18日付の読売新聞Web版によると、「大阪地検特捜部は、虚偽公文書作成容疑で告発状が出ている佐川氏らを不起訴(嫌疑不十分)にする方針を固めた」と。

    掲載記事によると、改ざんされたのは国有地売却などに関する14の決裁文書で、交渉経過のほか、安倍総理夫人や複数の国会議員の名前などが削除された。改ざんは昨年2-4月に、財務省理財局が財務局に指示して行われた。当時、理財局長だった佐川氏の国会答弁との整合性を取るためだったとされている。不起訴の理由として、「虚偽公文書作成罪の成立には、作成や決裁権限を持つ者が文書の趣旨を大幅に変える必要がある」と。公文書の一部削除では趣旨の大幅変更に相当せず、虚偽公文書作成とは言えない、と。

    記事はおそらく抜きネタ(スクープ)で、検察サイドへの裏取りをしてのことだろう。言葉として少々語弊があるかも知れないが、これで佐川氏は名実ともに逃げ切った。記事を読んで、ではあの国会証人の意義は何だったのだろうか、と。証人喚問の中継では視聴者の改ざん疑惑を膨らませた。しかし、検察サイドは不起訴。これだったら、果たして証人喚問は必要だったのか、との世論も出てくるだろう。「改ざん」という言葉のイメージから起きる罪の連想、そして法律的には虚偽公文書作成とは言えないという判断。「セクハラ罪という罪はない」(5月4日・麻生太郎財務大臣)と状況は似ている。社会的に罪として解釈されても、法律的な罪として適合しない。最近この社会的な罪と法律的な罪の乖(かい)離が広がっているようにも感じる。マスメディアが煽り過ぎるのか、あるいは法律が旧態依然としているのか。

⇒18日(金)朝・金沢の天気    くもり

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