自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆パリ五輪の華やかな演出 佐渡金山がユネスコ世界文化遺産に

2024年07月27日 | ⇒ドキュメント回廊

  きょうはパリオリンピックが開幕し、セーヌ川で開会式が行われ世界中が湧きたった。NHK放送の開会式の模様(録画)を視聴していると、日本など各国・地域の選手団は雨の中、6㌔にわたって船に乗ってパレードした。そして、巨大な聖火台に点火すると、聖火台が気球のように浮かび上がるという異例の光景が繰り広げられた。パリらしい演出で華やかに平和の祭典が幕を開けた。(※写真・上は、パリオリンピックの開会式で気球の様に浮き上がる聖火台=NHK番組)

  このニュースも心から祝福したい。ユネスコ世界遺産委員会の会議が日本時間のきょう27日午後、インドのニューデリーで行われ、日本が推薦する「佐渡島の金山」が全会一致で世界文化遺産として登録することが決まった。2021年10月、佐渡市で世界農業遺産(GIAHS)認定10周年記念フォーラムが開催され、自身も参加した。佐渡の金山をめぐるツアーが興味深かった。テーマは「佐渡GIAHSを形成したジオパークと佐渡金銀山、そして農村の営み」。

  佐渡の金山跡に入ると、ガイドが詳しく説明してくれた。島内には55の鉱山があり、江戸時代から約390年間に産出された金は78㌧、銀は2330㌧に上った。佐渡金山は幕府直轄の天領として奉行所が置かれ、金銀の採掘のほか小判の製造も佐渡で行われた。鉱山開発の拠点となった佐渡には国内各地から山師や測量技術者、労働者が集まった。最前線で鉱石を掘ったのは、「金穿大工(かなほりだいく)」と呼ばれた採掘のプロだった。(※写真・下は、佐渡金山のシンボルとなっている採掘跡「道遊の割戸(どうゆうのわりと)」)

  世界文化遺産「佐渡島の金山」として申請対象になっていたのは「西三川砂金山」と「相川鶴子金銀山」の2ヵ所。金銀の生産体制と技術に関して道具や記録、そして採掘された坑道が記録として残っている。さらに、鉱山と集落が「遺跡」として一体化して現存していることで世界遺産の価値が高まっていた。

  申請の段階で問題もあった。対象時期を「戦国時代末~江戸時代」とした点だった。この鉱山には戦時中、朝鮮半島からの人たちが「強制労働」をさせられたと韓国側からクレームがあった。今回の決定で、世界遺産委は日本に対し、鉱業採掘が行われたすべての時期を通じた歴史を説明することを勧告した。韓国側が主張する「強制労働」が、無給で強制だったのか、有給だったのか、労働条件・待遇などの記録を記載して説明することなる。

   明治・大正、そして戦時下を経て、佐渡金山は平成元年(1989)に長い歴史の幕を閉じた。最盛期の江戸時代だけではなく衰退に向かう歴史的事実もすべて説明したほうがよい。世界文化遺産は栄枯盛衰の歴史そのものに価値がある。

⇒27日(土)夜・金沢の天気    はれ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする