自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆10年前のきょう、今

2017年03月25日 | ⇒ドキュメント回廊
   2007年3月25日、ちょうど10年前のきょう能登半島で震度6強の地震が起きた。時間は午前9時40分過ぎだった。私は金沢の自宅にいたが、グラグラときた。テレビのチャンネルをNHKに切り換えるとニュース速報が流れた。「能登沖を震源するする地震」と。テレビにくぎ付けとなった。と、同時に能登の実家に電話を入れた。しかし、つながらなかった。1時間ほど待って、つながった。真っ先に「そちらはどうや」と尋ねると、「棚から皿や茶碗が落ちた程度でたいしたことはない。家族はみんな無事だ」と兄の声だった。あれから10年。当時は実家に帰省すると何かと地震の事が話題になった。が、ここ数年は話にも出ない。「風化」という言葉が脳裏をよぎる。

  輪島市と穴水町を中心に石川県では住宅2千4百棟が全半壊し、死者1人、重軽傷者は330人だったと記憶している。翌日から大学の仲間と被災調査に入り、その後、学生たちを連れて輪島市門前町道下(とうげ)地区を中心にお年寄り世帯の散乱する家屋内の片づけのボランティアに入った。その後、何度か道下地区を訪ねた。最近では全半壊の住宅は新築、あるいはリフォームされ、すっかり「ニュータウン」の様相になっている。見渡す限りでは、被災地の復興事業はほぼ完了したかに思える。ただ、さら地が随分と多く、界隈が歯抜け状態となっているのだ。

   聞けば、震災を機に、お年寄りたちによる、金沢など都市で暮らす息子たちとの同居が加速したようだ。つまり、「過疎化」が進んだということだ。石川県が発表している人口統計によると、地震による家屋被害が多かった輪島市、穴水町の現在の人口は10年前に比べ、それぞれ17%、19%も減少している。

  震災から4年後、再び学生たちを門前町に連れて行くようになった。道下地区に接する黒島(くろしま)地区からSOSが入った。この地区で催されている伝統的な祭り「黒島天領祭」で若い人たちの担ぎ手が不足している。祭りに学生たちも参加してほしいという要望だった。8月17、18日という学生たちの夏休み期間ということもあり、引き受けた。大阪城と名古屋城をかたどった2基の曳山が街を練る。とくに若いエネルギーが必要場面は「舵(かじ)取り」という役だ。曳山の進路を変える場合は、10人かがりで一気に棒を押して車輪を動かすのだ=写真=。先導役が「山2つ」と声をかけると、山側方向に棒を2度押す。結構な頻度で舵取りがあるので、これは若い者がいないと曳山が動かせない。急斜面での神輿担ぎにも学生のエネルギーが必要だ。

   この地域はすでに高齢化率が40%を超えている。能登半島地震からちょうど10年、過疎・高齢化という波も容赦ない。ただ、黒島天領祭には毎年40人余りの男女学生が参加するが、学生たちへのアンケートでも参加の充実感は高い。ここに可能性を感じている。

(※写真上は、震災直後の輪島市門前町の寺院。家屋は倒壊したが山門と地蔵は倒れなかった、写真下は、門前町黒島地区の黒島天領祭。学生たちが舵取りに一役買っている)

⇒25日(土)夜・金沢の天気   はれ

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