自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★変わる光景、変わらぬ光景~2024能登地震・豪雨 その6~

2024年12月31日 | ⇒ドキュメント回廊

  この1年、能登を何度も往復した中で、よい意味で変わらぬ光景だったのが祭りだった。能登では元日の地震で2万4千棟の住家が全半壊した。それでも、能登の祭りのシンボルでもあるキリコや神輿を出せる町内は出して祭りを盛り上げていた。7月5日に見た能登町宇出津の「あばれ祭」に能登の人々の心意気を感じた。

           逆境にめげず祭りを楽しむ能登人の心意気

  宇出津は港町でもある。元日の地震で沿岸の地盤が沈下して港町の一部では海水面より低くなったところもある。そんな中で祭りの掛け声が響き渡っていた。「イヤサカヤッサイ」。掛け声が鉦(かね)や太鼓と同調して響き渡る。高さ6㍍ほどのキリコが柱たいまつの火の粉が舞う中を勇ましく練り歩く。神輿2基とキリコ37基が港湾側の祭り広場に集った。キリコの担ぎ手は老若男女で衣装はそれぞれ。キリコに乗って鉦と太鼓をたたく、笛を吹く囃子手(はやして)にも女性も多くいた=写真・上=。  

  この祭りにはルーツがある。江戸時代の寛文年間(1661-73)、宇出津で疫病がはやり、京都の祇園社(八坂神社)から神様を勧請し、盛大な祭礼を執り行った。そのとき大きなハチがあらわれて、病人を刺したところ病が治り、地元の人々はこのハチを神様の使いと考えて感謝した。それから祭りでは「ハチや刺いた、ハチや刺いた」とはやしながら練り回ったというのが、この祭りのルーツとされる(日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」公式ホームページより)。逆境に立たされれば、立たされるほど闘争心をむき出しにして元気よくキリコを担ぐ、そのような言い伝えのある祭りなのだ。

  8月24日には輪島大祭の住吉神社の祭りに行ってきた。境内は震災で本殿が全壊し、高さ7㍍もある総輪島塗の山車や曳山も倒壊、鳥居や石灯籠も倒れた。そんな中でも、若い衆がガレキの山をバックに祭り太鼓を披露していた=写真・下=。前日までは人手が足りないのでキリコは出さないことになっていたが、祭り当日になって仮設住宅や金沢などの避難先からキリコ担ぎの仲間たちが続々と集まり、夕方になってキリコも担ぎ出された。「やっぱりキリコが出んと祭りにならん」。祭りを盛り上げたいという若い衆の気持ちが伝わったのだった。

  能登の祭りは地域の参加者だけが楽しむのではなく、参加したい人をどんどんと受け入れ、みんなで楽しむ。逆境にめげずに祭りを楽しむ能登人の心意気が伝わってくる光景だった。

⇒31日(火)夜・金沢の天気   くもり


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  ☆変わる光景、変わらぬ光景... | トップ | ☆2025能登レジリエンス元年~① »

コメントを投稿

⇒ドキュメント回廊」カテゴリの最新記事