自在コラム

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☆能登で巣立ったコウノトリ、台湾へ2000㌔の大冒険

2022年11月16日 | ⇒トピック往来

   ことし6月と7月に2度、能登半島の志賀町で生まれたコウノトリを観察に行った。小高い丘にある牧場の電柱のてっぺんに巣があった。3羽のひなを育てているつがいは足環のナンバーから、兵庫県豊岡市で生まれたオスと、福井県越前市生まれのメスで、ことし4月中旬に電柱に巣をつくり、5月下旬には親鳥がひなに餌を与える様子が確認された。

   初めて見た6月24日は、ひな鳥とはいえ、かなり成長していて親鳥かと一瞬見間違えるほどだった=写真・上=。それから1ヵ月たった7月24日に再度訪れた。時折羽を広げて飛び立とうとしている様子だった。この場所はコウノトリのひなが育った日本での最北の地とされていて、能登の地での定着と繁殖を期待しながら巣を見上げていた。

   その後、巣立った3羽のコウノトリの1羽が台湾で確認されたと、兵庫県立コウノトリの郷公園(豊岡市)の公式サイトで発表された。きのう15日付の「お知らせ」ページによると、確認されたのは足環のナンバーから8月5日に巣立ったオス。10月31日に台湾屏東県車城(海沿いの村)で、今月11月8日に台湾雲林県台西郷蚊港村(養殖池)でそれぞれ確認された。確認日と場所と写真・下は台湾野鳥保育協会によると記載されている。

   地図で確認すると、台湾屏東県は台湾の最南端で、能登半島から飛んで渡ったとすれば、2000㌔にもおよぶ。サイトによると、日本生まれの個体が台湾で確認されたのは初めてのケース。ことし、国内で巣立った幼鳥は8府県の34巣から計80羽だった。それにしても、最北の能登で巣立ち、台湾の最南端までよく飛んだものだ。サイトは「国境を越えて冒険中です」と紹介している。まさに、大冒険だ。

   江戸時代には日本のいたるところでいたとされるコウノトリが明治に鉄砲が解禁となり個体数は減少。太平洋戦争の時には営巣木であるマツが燃料として伐採され生息環境が狭まり、戦後はコメの生産量を上げるために農薬が使われ、その農薬に含まれる水銀の影響によって衰弱して死ぬという受難の歴史が続いた。1956年に国の特別天然記念物の指定を受けるも、1971年5月、豊岡で保護された野生最後の1羽が死んで国内の野生のコウノトリが絶滅した。

   その後、飼育されていたコウノトリの人工繁殖と野生復帰計画は豊岡市にある兵庫県立コウノトリの郷公園が中心となって担い、ロシア(旧ソ連)などから譲り受けて人工繁殖に取り組んだ。豊岡でのコウノトリの野生復帰が知られるようになったのは2005年9月、秋篠宮ご夫妻を招いての放鳥が行われたことだった。

   2000㌔の大冒険の後は、能登に戻って定着と繁殖を期待したい。

⇒16日(水)午後・金沢の天気   あめ


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